尖閣列島戦時遭難死没者慰霊祭 4年ぶりの制限無し

 7月3日午後2時から令和5年度尖閣列島戦時遭難死没者慰霊祭が尖閣列島戦時遭難者遺族会(宮良芳明会長)によって開催され、20人以上の参列者が尖閣列島戦時遭難死没者慰霊碑前で哀悼の誠を尽くしていた。

 桃林寺住職の小林昌道氏の読経からはじまった慰霊祭は、宮良芳明会長の焼香からはじまり、参列者の焼香が続いて、ひとりひとりが石碑を前に犠牲となった御霊に、思いを伝えていた。

 参列した30代女性は、事件を知り、6月23日慰霊の日の後も戦争は続いていたとは知らなかった。後世にこの事件を知らせることで戦争の悲惨さを伝えなくてはいけないと思ったと、参列する意義を記者の問いかけに答えてくれた。

 毎年沖縄本島からこの日のために石垣島に来る崎村サヨさんは、親の兄弟がこの事件で亡くなり、亡き父親が語った言葉が忘れられないと述べていた。

 犠牲になった兄弟を親自身が台湾・基隆でどんな気持ちで待っていたかを思うと、辛いと。

 この事件を後世に伝えることの大切さを、孫に伝えるようにしていると、法事の時は石碑の前に連れてくるという崎村さんは、この慰霊祭には命の続く限り参列したいと述べていた。

 慰霊祭がはじまる14時は、台湾に疎開する船、第一千早丸と第五千早丸が銃撃を受け始めた時刻。第五千早丸は沈没し、第一千早丸が漂流しながら尖閣列島の魚釣島になんとか上陸。1か月間後に食料が尽き、多くが亡くなる。小舟をつくり、有志が応援を呼ぶために石垣島へ帰還して、救援を遂げた事件。犠牲者数がはっきりしないほど、多くの人が犠牲となっている。

 毎回、この慰霊祭当日の晴天ぶりには驚かされる。強い日射しに感じるものがある。当時の厳しい環境で、食料のない辛い時間を過ごした犠牲者の過酷さを伝えるかに、参列者に容赦なく降り注ぐ、その焼き付くような日射し。遺族には悲しみは深く、平和の希求を、誓わずにはいられない。

(流杉一行)

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