石垣市納骨堂・無縁供養の碑の前で旧盆供養

 9月4日午後1時半から石垣島バンナ岳南に広がる墓地エリア内にある石垣市納骨堂で旧盆供養が石垣市長中山義隆氏をはじめ納骨堂関連の石垣市役所幹部らでおこなわれた。

 昭和59年に建設された同納骨堂は、土地改良や道路区画整備などで墓の移動が必要になったおり、所有者特定に広報するも、不明のままとなった墓の人骨を納骨するために建設。昨年も3体。今年に入っても1体が納骨されている。毎年、この中日に供養が石垣市によって行われており、全県でも稀な行事で、余り知られていない。

 職員によると、この日の朝には何もなかった祭壇に昼に来てみると缶コーヒーがおかれて、人知れず供養する人もあるとのこと。

 施設の前には、見上げる高さの石像があり、「無縁供養」と彫られた文字が見える。「昭和3」とまでは判別できる文字が見え、永きにわたり供養されている石仏と思われる。

 市の職員によると登野城から移転されてきたものとされている模様。

 この日、集まった職員らは、納骨の前に供物を供え、線香をあげて、手を合わせていた。市長が挨拶に立ち、「担当部課の職員に準備をして頂きありがとうございました。石垣市を支えてくれた先人の供養が出来ました。」と、集まった担当職員らを前に、供養できたことを述べ、職員をねぎらった。無縁供養の石仏にも手を合わせてから、職員らは納骨堂を後にしていた。
 
(流杉一行)

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