3年ぶりのウルトラマラソン 雨の中を快走

 5月15日午前7時から、サッカーパークあかんまをスタート地点にはじまったウルトラマラソンは、60キロ、43キロ、35キロの長距離の走破を目指して560人が挑戦。

 午前10時には、43キロ、35キロの選手がスタート。石垣市民吹奏楽団がスタートのファンファーレを実施。

 午前11時半ころにはゴールのサッカーパークあかんまに、一位の選手がゴール。優勝者は富田繁生さん(41)。

 そのしばらく後には、地元1位の鳰原岳(にゅうはらたけし)(45)さんが到着。

 女子一位は、又井ゆうこさん(41)がゴールしていた。

 コロナ禍で3年ぶりの開催となったウルトラマラソンは、マラソン42・195キロを越える長いコースを、自身のペースで走破するもの。

 これまでの自粛ムードから、ワクチン接種の推進と、感染力は高まっても重症化率が抑えられる変異種の置き換わりで、次第に経済復興への切り替わりがウイズコロナで進む中、スポーツの開催も増えてきている。

 自粛中でも、個々に日々のトレーニングに励む一般アスリートには、大会参加は、これまでのトレーニングの成果を見るには最適なものとなる模様。

 この日は、雨が続く悪天候。大会スタートラインに設置したテントも、風で吹き飛ばされる事態も発生。それでも、走るアスリートには石垣島の厳しい暑さに見舞われなかったことから、走りやすかったという声も。

 優勝した富田さんは、「コロナ禍でしばらく大会がなかったので、楽しかったですね。ロードを走るのはいいですよね。この長い距離を走るのは2年半ぶりです。コロナがはじまって全然レースがなかったので。」と、久々の長いレースに参加できたことを喜んでいた。

 日々18キロほど走っているという富田さん。その積み上げをレースに参加して、確認するのがたのしみだという。

 マラソン歴は10年ほどと、長くないという。ダイエットで始めて、10キロ体重を落とせたとも。天候が悪く、景色を楽しむことはできなかったというが、沖縄の空が好きだという。

 女子優勝の又井さんは、2度目の石垣島ウルトラマラソンで、優勝を狙う気はまったくなかったという。

 前回は暑さに苦しめられ、今回も覚悟の上での参加だったが、雨天の涼しい中、走り続ける気はなかったにもかかわらず、止まることなく20キロ地点で女性一人を抜き、そのあとしばらくして女子の1位だと、沿道から声をかけられてから、そのままゴール。

 月に300キロから400キロ走って、鍛えていることも、婚活後にはじめたことだという。この大会の3週間前に160キロマラソンに出場して、60キロ地点でリタイアしたという。

 「その時の余った体力があったから調子が良かったかも」と、女子1位を飾るにふさわしタフネスさも披露していた。

 又井さんは、ゴールした後、表彰式の時間に現場にいなかったことで、なぜか表彰式では違う人が表彰された模様で、ゴールの場所のテントが悪天候で吹き飛ばされ、計器類でトラブルとなり、ゴールを保守する係員も2人しか見られず、コースを外れてしまう選手が続出していた。

 表彰式の後に、又井さんは正式なタイムを聞きに現れていたと、関係者は述べていた。
 「男子と間違われたかも」と、話していたとも。

 競技よりも皆で楽しむイベント色が濃い大会でもあり、そこは参加者の心の大きさもウルトラ級と言えそう。
 天候は荒れても、人の心は達成感から皆が日本晴れといったところかも。
 
  さて、この日は沖縄復帰50年の節目。そんな日に、3年ぶりのウルトラマラソンが開催された。

 少し客観的に考えれば複雑になる部分はある。競技者も主催者も、応援する人も、ウルトラマラソンの開催に喜び、このことに触れないままに競技は進んで、コロナ禍からのわずかな開放感もあるが、分衆の構造も現れていたことに。スポーツ界にはこの節目は、及んでいないのが現実。

 沖縄復帰には、日本のアメリカとのあり様が露骨に示される事態でもある。それは、見つめたくない現実として、あるかに見える。それが今の日本そのものかも。

 客観的に認めないわけにはいかない事象だ。
 ウクライナにロシアが侵攻し、戦争ではないと嘘の情報で、国民を洗脳。大多数のロシア人は、鵜呑みにするのは、第二次大戦の戦前戦中の日本と同じ。あれは中国と米国との2か国との戦争だった。

 1951年9月のサンフランシスコの講和で、主権が承認され、独立を手にした日本。しかし、激戦地だった沖縄を後回しにしてのこと。軍事基地を拡大させ、信託統治を予定しても、信託統治までは米国が占領する理屈。

 沖縄のことは、そこから考える厳しい気持ちを、日本国民が持てなければ、戦時中のように、また隣国との紛争のうねりが大きくなった時、国家の策謀に乗せられて流されるだけになる。

 いまだに、あの戦争で起こった過ちの全貌を、しっかりとらえて、2度とおこらないためにすべきことを、導きだせていない。アメリカ式に染めて、まともな振りをしただけに見える。また国民は、心地よい世相に乗せられ、ゆっくり焚かれるゆでガエルのようになるのか。

 都合の悪い資料を焼き捨て、隠した精神性。当局の言いなりで、済ませる感覚。すでに公文書の偽造があった安倍政権。

 忖度や空気読みが、日本人の特性だとすれば、こうして77年たっても、知らしむべからず式の軍国統治の復活を、恐れ続けなければならない。

 記念行事でそこだけで終始するより、各イベントで語られることの方が、本物の内容そのもの。見逃せない部分がそこにあるのではないだろうか。

 民間で自然に、生まれて来ていいはずのものが、党派で収束するようでは、話し合いがないままに終るだけのこと。沖縄で行われるイベントであれば、なおさら深刻に感じる。ただ、主催者がそれを発信していたなら、お詫びします。

 (流杉一行)

この記事をシェアする