八重守の塔に戦没者追悼と平和祈念

 6月23日午後4時から石垣島バンナ岳の麓に建つ八重守の塔で、石垣市全戦没者追悼式並びに平和祈念式が開催され、約100人の参加者が、コロナ禍のための距離を取りながら、会場に集まった。

 石垣中学1年の池城咲花さんと、八重山農林高校2年の阿次富美愛さんが「平和を考える作文」朗読をして式典は始まった。
 黙とうの後、石垣市長中山義隆氏による平和宣言がおこなわれた。

 市長は、「ロシア軍によるウクライナ侵攻により、国際社会がこれまで築き上げてきた核軍縮・不拡散体制の崩壊が危惧され、核兵器使用の危険性が高まった深刻な事態に見舞われている」として、これに対し「戦争を遠い過去の出来事として風化させるのではなく、教訓とし後世へ確実に繋いでいく責務がある」と述べて、この難局を後世へ確実に繋いでいくためには、平和への想いを絶やさず、平和推進事業を継続して、平和思想の継承に務めていくと述べていた。

 代表献花のあとは、石垣市内の全小中学校から代表者1名が献花を実施。次々に初々しい子どもたちが、献花を手に献花台の前に立ち、花を置いて手を合わせる子供や、一礼して足早に戻る子供など、様々な思いを胸に、献花を実施していた。

 多くの小中校の代表者が参加するのは3年ぶりでもあり、合唱などの歌声などはコロナ禍ゆえに実施されないながら、子どもたちの献花を見守る参加者は、どこか頼もしさを感じているように見えた。

 この日、「令和4年度石垣市平和を考える作文」で、中学の部の最優秀賞をとっている石垣中学校1年の池城咲花さんの朗読「どの国に生まれても」は、石垣島に世界平和の鐘があることや、戦争放棄と書かれた石碑の存在や、その石碑をデザインした潮平正道氏が出版した「絵が語る八重山の戦争」について触れるなど、それぞれ最初に見た感想などを述べながら、戦争の憎さを吐露。

 また、ロシアによるウクライナへの攻撃にも触れ、自分がウクライナに生まれていたなら、どうなっていたのかを想像するなどして、戦争の悲惨さと平和の大切さを切実に説いていた。

 77年間、日本が戦争しないでこれたのは憲法9条を掲げたことからで、戦争しない国として話し合える力を生かし、戦争をしないで問題解決ができる世界がつくれたらと締めくくる池城咲花の声に、聴衆の間からは、平和に関して網羅し得ているところに感銘を受けたか、きれいにまとまっている見事さに打たれたか、少し力が入った不思議な拍手が寄せられていたように見えた。


 (流杉一行)

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