6月17日午前8時半から石垣島伊原間の船越漁港で恒例のフナクヤハーリー(伊原間ハーリーとも呼ばれる)が実施された。北部漁友会が主催するハーリーで、北部の漁業者のほかダイビング業者や観光客にガイドをする事業者も参加して地域活性化を念頭に実施されている。
この日の同漁港は、500人を越える人で埋め尽くされ、ハーリー体験や踊りの演目など、多彩なプログラムが同時に実施されて、賑やかな一日となっていた。
この伊原間の船越漁港は昔ウミンチュが船を担いで越えたとされる船越(フナクヤ)と呼ばれる場所でもあり、同ハーリーはこれに因んで、毎回、船を担いで東の海から西の海へ渡る儀式を実施している。
この日も冒頭、大勢でハーリー船2隻を担いで移動して見せていた。子ども用にしつらえられたハーリー1隻もあり、明石小学校と明石幼稚園の子供たちが、大勢の人が見守る中、ハーリーを運んで見せて、喝さいを受けていた。
このあと、来賓あいさつの後、明石幼稚園、明石小学校や伊原間中学校など園児生徒らによる舞台や、各種団体の舞踊が披露されていた。
昼になるとそばが振舞われるなど、会場は北部地区を盛り立てたい住民の熱気が伝わり、集まった人々も市街地から足を運んで体験ハーリーにはじめて挑戦する人もあり、和やかなイベントとなっていた。
この伊原間での海神祭を維持してきた平良正吉さんは、「フナクヤは、天候により西で漁ができるときと東でできるときがあり、その都度、船を担いで陸を渡った場所で、玉取埼の小島に寝泊まりして漁をしていた。当時は氷がなく、捕った魚はすぐに市街地へ運ぶ別の船に移されて運ばれた。」という。
そんな運び専門の船があり、平良氏の父親正一氏がその仕事をしていたという。
正一氏は、イトマンウイと呼ばれる人身売買の業者に買われて、幼くして重労働に就き、過酷な労働を体験。
年中裸で作業して、同じ仲間が寒さで病むと放置される現場も見ていたという。亡くなったときは、家族に事故で死んだことにしていたとも。
80年前は、まだそんな時代だったと、平良氏はこのことを子供たちに伝えて、今ある豊かな時代の前には、厳しかった時代があったことを伝えておきたいと語っていた。
この地域の振興を目的に、ハーリーで町おこしをと、21年前から開催されてきた船越ハーリーは、今や地域に定着して、地域のきずなを深め、島内外の支援者が集う場にもなっている。
(流杉一行)