「大富」ですぐに思い浮かぶのが、仲間川、仲間貝塚、計画移民第1号、共同売店、大原中学校……といったところか。もちろん仲間川だけでも、マングローブ、サキシマスオウノキ、ガサミ、釣り、カヌー……とキリがないのだが。
さて大富とはどんなところか、この6月に大富公民館長に就任したばかりの佐事安紀さん(60)を訪ねて、かつての大富、現在の大富、これからの大富について話を聞いた。
佐事さんはいわゆる開拓2世。
佐事さんの父親たちが大富を開拓した。1952年、大宜味、久米島、波照間、竹富などから仲間川の河口(かつての仲間村跡)に59戸303人が入植した。これが琉球政府計画移民第1号。佐事さんの父親は波照間島からの入植だった。
●仲間川
佐事さんは母親の出身地小浜島で生まれ、3年後に大富へ。
小さい頃の大富のいちばんの印象は「人がいっぱいいた。子どもがいっぱいいた」こと。当時1学年2クラスあった。
「当時の家はみんな茅葺で、ユイマールで家を建てていた。藁を集めてきて、大人たちが何人かで家の葺き替えをしたりしていたのも記憶にあるね」
「今の団地のところにパイン工場があった。パインの収穫期になると、台湾、宮古、沖縄本島から女工さんがいっぱい来て、すごく賑やかでしたね。サトウキビもあったけど、昭和30年代はパインブームでほとんどの農家はパイン栽培でしたよ」
大原集落にある大原小学校まで30分くらいかけて通った。
「学校帰りに、よく鞄を放り投げて橋から飛び込んで(仲間川で)泳ぎましたね。服が濡れると親にバレるので、素っ裸でしたよ」
「親に言いつけられて、川で豚の中身を洗っていると、魚がいっぱい寄ってくる。それを捕ったりしました」
「釣りもやりましたよ。パイン工場から流れ出るカスに、こんなに太いサヨリが寄ってくる。売店から麩を買って、それを水に浸して針にかけて、橋の上から流す。サヨリが餌に食いつくのが見えるんですよ」
「ガサミも年中捕れた。石の巣穴にいるんですが、子どもにはそんなのを捕るのは難しいから、ひたすらマングローブの中を歩いて、水溜りに番いでいるのを捕るとか、あのころは豊富に食べましたね。捕ってくると親が喜ぶから、親にほめられると嬉しいから捕りに行ったような感じもあるね」
「川の河口の開けたあたりはモズクが豊富で、干潮になるとここから水牛車を下して、海の中をバンバン行って、親子一緒にモズクとり。モズクはけっこうお金になった」
「小さい頃、石垣が憧れでしたね。石垣には珍しいものがある。ビー玉、マンガも石垣に行かないと買えない。僕の親父は途中から観光フェリーの船員になったから、僕は石垣に行く機会が多かったほうですね。なかには3年も4年も石垣に出ないという人もいましたよ。石垣に着くと親父がそば屋に連れて行ってくれた。おいしかったね」
●現在の大富
佐事さんは、大原中学校、八重山農林高校を卒業して名古屋で就職。そして3年前に、約40年間暮らしてきた名古屋を引き揚げ大富に戻ってきた。
「子どもと孫を連れて遊びに来たときに、お父さんが西表にいてくれたら毎年来れるのにと言われたことをきっかけに(帰郷を)考えるようになって、長男だからいずれ帰ろうという気持ちはあったので、親父おふくろが元気なうちに帰ってあげた方が喜んでくれるかなと思って」帰ってきた。
再び大富に暮らして、まず感じたのは、
「内地からやってきた若者たち。この若い世代がいなかったら大富は過疎化の波に飲み込まれていたんじゃないか。小さい子どももいて、集落に未来があるなあと思う。ありがたいですね」
大富の今年3月現在の人口は、161世帯286人(竹富町調べ)である。
その内訳は、開拓世代が少なくなり、開拓2世の団塊の世代(60代)が多く、40代後半から50代前半が少ない(公民館事務局の嘉本祥司さん)という。そこに若い移住者世代。
最近八重山の各地で問題になっている移住者との軋轢がここでは見られないという。
「もともとあちこちから人が集まってできた新しい村。みんな助け合っていこうと、そういう気風があるのじゃないか」と佐事館長。
金城朝夫『ドキュメント八重山開拓移民』は、
「異なった共同体の混成移民となった大富だったが、『和衷協力』を合言葉に、団の団結を固めるのに力を入れてきた」(p100)と書いている。
他所からの人をも受け入れるという「伝統」がこの65年でできたのかもしれない。
「伝統」は他にもある。獅子舞と共同売店である。
お盆の中日と送りの日の翌日に行われる獅子舞。波照間の行事を継承したものだが、人口が減って青年会が無くなったときに中断したが、15年前の入植50周年のときに青年会が復活。獅子舞も復活させた。
獅子舞復活から15年。当事者であった嘉本さんは言う。
「獅子舞の型もだいぶ出来上がってきたところ。新米の行事をこれからどうやってずーっと続いて行く伝統行事にしていくか。これから保存会を立ち上げる予定です。何もなかった新興集落。いろんなものを取り入れた中で少しずつ形にしていこうとしているところです。ほかにも、旗頭、大富口説などがあります」
●共同売店
共同売店は大宜味から持ち込まれた互助組織。
「当時はみんな農家ですからね。収穫するまで現金がない。ツケで買い物ができる共同売店はみんな大変助かったはずですよ」
という佐事館長は、大富共同売店の店長も兼任している。
つまりかつての共同売店は集落の人が買い物する場所だった。
現在の共同売店はどうか。
「1100円で石垣往復ができるようになった。石垣は安くていろんなものがあるし、(集落の人も)石垣に行ってまとめ買いをするようになった。だから今は、生鮮食品を中心としたコンビニとしての役割と、観光客へのサービスが主ですね」
観光客へのサービスという役割が加わったという。
嘉本さんも言う。
「西表島が世界遺産になるのはもう7割がた決定だと言われています。そこに向けて準備をする時期だと思います。(共同売店は)今までは地域の人が買い物をするところ、しかしこれからは地域の人がそこで儲けられるところにしていかなきゃいけないと思います」
石垣でまとめ買いができネットで物を買う時代に、地域住民に物を売ることはじり貧で、むしろ地域住民の生産物を観光客に売ることがこれからの共同売店の役割ではないか、と嘉本さんは言う。「みんなの共有財産として」
面白いと思う。
獅子舞や旗頭をみんなの新しい「伝統」にしようとするように、共同売店の未来をみんなで考えて行くことは、大富の未来を開いて行くことにもつながるのではないか。かつてみんなを助けてくれた互助の精神を受け継いでいくことにもなるのではないか。
最後に、佐事公民館長に最近の暮らしぶりと新館長としての抱負を聞いた。
「都会に比べて1日の時間が長く感じられますね。けっこういろんなことができるんだなと思います。船で西表島をもてなすような観光業もやりたいし、楽しみいっぱい夢いっぱいですよ」
「助け合いながら頑張って集落をつくってきた先輩方のやってきたことを縁あって継ぐことになった。この集落を盛り上げて、暮らしやすい住み良い場所にできたらいいなと思っています」