新城浪さん逝く

 歌と三線に生きた新城浪さんが亡くなった。1月31日午前9時、八重山病院にて肺がんのため。97歳。告別式は1日午後4時に三宝堂で行われ、多くの列席者が集まった。

 大田静男氏による悼辞では、120まで生きると言っていた浪さんへ温かい言葉をかけていた。出逢いの時を振り返りながら、いつも前向きで明るい人柄と、厳しく仕込まれた三線で力強く生きた浪さんを讃えていた。

 浪さんは大正10年生まれ。石垣島出身の歌三線師。5歳で母親を亡くし、9歳の時に姉妹とともに那覇の辻の料亭に売られて、幼くして芸子として三線・踊りを仕込まれる。

 本土からの客も多いために、本土の三味線、沖縄三線そして踊りと、5年間、朝早くから夜遅くまで幅広く修練を積む。軍隊から戻った叔父に助けられて父の居るサイパンに渡海。そこでは本土出身者の家の女中の仕事につく。21歳で台湾へ渡りアルミニュームの工場で働き、従姉妹がいた温泉の料亭に。終戦で引き上げ石垣の料亭で仕事を。沖縄に出てからはお座敷で三線を弾いて暮らす。2度の結婚を経て長女を出産。料亭などで働きながら山里勇吉・大浜安伴などの八重山民謡の名手たちとも交流を重ねる。

 平成9年大田静男氏との交流をきっかけに大川公民館での独演会を経て2003年83歳でCDを出版。本橋成一氏、姜信子氏らとともに制作されたドキュメンタリー映画「ナミィと唄えば」が2006年に公開され、話題に。

 地元の福祉施設でライブを実施するなど音楽活動止まず、同年代のお年寄りを、歌と三線で励ましていた。施設のお年寄りらの青春時代の曲がはじまると、皆蘇るものがあるのか一緒に唄いはじめて、会場は毎回大いに盛り上がり、周囲に感動を与えていた。

(流杉一行)

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