静かなユッカヌヒ コロナ対応と地域の結束

 ハーリーが中止となったユッカヌヒ(旧暦の5月4日)の午前中は、静かな時を刻んでいた。

 いつも実施される八重山漁協のセリが、ユッカヌヒにもおこなわれ、それまで一度もユッカヌヒのセリはなかったことは、発見でもあった。紛れなく、初のユッカヌヒのセリなのだった。

 6月13日午前9時に八重山漁協でセリが始まり、何事もなかったように、上場された魚が次々にセリ落とされていった。

 どんな日でも、ユッカヌヒ(旧暦の5月4日)は、海神祭を優先し、漁を休んで爬龍船競漕に備えた歴史が、100年以上続いているウミンチュの年一度の祭典だった。(2006年に100周年とされているので、今年で115年目)

 平成10年(1998年)に八重山漁業でセリがはじまって、一度もハーリーの日にセリが行われたことがなかったことを考えると、二度とないユッカヌヒのセリの光景だった。

 コロナ禍から昨年に次いて今回もハーリー開催は中止となったためだが、今年は、昨年あった爬龍船を揃えて漕ぐスネーがなく、石垣市の緊急事態宣言が大きかったといえそうだ。ただ、昨年も実施した各御嶽や冨崎観音堂などでの祈願だけは行われた。

 一方、八重山漁協では、11日にはユッカヌヒとその翌日の2日間にセリを実施する告知をしており、平常通りの業務を宣言。

 八重山漁協が年に一度、海での漁を休む定番の2日間を通常業務にしたことは、複雑でもある。石垣市の緊急事態宣言で自粛度を上げる声に反応する一方で、通常業務に切り替わるのは、やはり経済停滞を危ぶむところが、意識せず空気にあるのかも。

 イベントが次々、休む傾向はコロナ感染を恐れてのこと。しかし、感染拡大を食い止めながら、経済復興を期すのも、求められる。

 本来は活気みなぎるはずの朝のハーリー小屋の周辺は、静寂そのもので、それでも集まって会合を開く組も見られた。

 東2組の金城寿さんは、「漁をしてきて43年になるが、毎年当たり前にハーリーの時期を迎えて、この時期が近づくと気持ちが高ぶってくるのですが、2年も連続してないですね。拍子抜けというか、寂しいのと、何か疲れますね。」と、残念がっていた。

「東組では天川御嶽、マドマリ御嶽、船着御嶽の3か所でこれは欠かせません。昔は、冨崎観音堂や美崎御嶽、竜宮御嶽にも祈願してました。」

「漁師は、それぞれライバルですが、ハーリーの日は地域が結束する機会で、それが2年も中止となるのは残念です。」と述べていた。

 確かに伝統行事は、地域の結束とかかわってくる。その維持どうやって実現するか。そこのあたりが、コロナに負けないための指針になるのかもしれない。

 コビット19が収束しても、また違ったウイルスの蔓延があるかもしれない。

 自由の制約が同意可能となるラインを、国民の側から出して、納得できる法整備を実現する。それには既得権に拘泥する勢力を説き伏せる作業が急がれる。それができなければ、専制的な一党独裁国に、劣る状況となろう。専制的な国にはまねのできない国民の自主的で、クリエイティブな結束こそ、求められてこないか。


  
  (流杉一行)
  
  

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