夏季県大会優勝の八重山高校野球部が市長に報告

 8月13日午後5時から石垣市役所第1・第2会議室で、高校野球夏季県大会に優勝した県立八重山高校野球部員40名が石垣市役所で優勝報告を実施。

 中山義隆石垣市長、平良石垣市議会議長、石垣安史教育長が、挨拶に立ち、それぞれ忘れられないシーンを取り上げて、その健闘ぶりを思い起こしながら、歴史的な一頁を切り開いた八重山高校野球部の栄誉を讃えていた。

 中山義隆石垣市長は、長年の夢でもあった八重山高校野球部の夏季大会全県制覇を初めて遂げた部員たちへ「八重山高校野球部で、県大会を制覇したことに自信を持って、これからの人生を、生きてほしい」と、晴れやかな戦いぶりを祝福し、将来に向けて激励していた。

 八重高野球部40期卒の平良秀之議長は、「準決勝の9回2アウトランナーなしの状況からの、見事な逆転劇。どこまで行ってもあきらめない。このシーンに多くの八重山の人が励まされたと思います。」
 と、準決勝の劇的シーンを取り上げて、戦いぶりを賞賛し、「感動をありがとう」と結んでいた。

 石垣安史石垣市教育長は、小中学校での輝かしい活躍から、高校での夏季大会制覇につながったことや、終盤の戦いでは、全員野球で頂点に立ったことに触れ、その見事な快挙を大いに喜んでいた。

 インタビューで心に残る試合を尋ねる記者に対し、

 内間主将は、「『自分たちは弱い』と、自ら言い聞かせて、一試合一試合を全力で取り組んできたので、すべての試合が山場でした。ですから、もっとも心に残るという試合はすべての試合です」と応えて、チームで気持ちに隙を与えないよう励んでいたことを明かしていた。

 いわば、準決勝の大逆転の粘りは、この姿勢の賜物。讃える大人が学ばさせられる言葉でもあった。

 思い返せば、決勝での4回までのノーヒット状態で、何度もやってきたピンチと何度も迎えたチャンスの逃し。しかし流れを持って行かれることなく、戦えたのはこの謙虚な姿勢からかも。

 総じて、打順1番へつなぐラストバッターの有力打者の配置や、一球目のねらい打ちや、ヒットエンドラン、盗塁を絡めたスクイズバント、投手と野手の両方をこなせる技量もつ選手の多さや、投手を登板してきた選手の多さなど、選手らが意欲的に自身の特徴を生かす練習を重ねてきた様子がうかがえる。

 意識の高い選手層の様子が見えてくる。それらで感じられる選手層の厚さ。

 そこはやはり日本最南端からの県立の進学校の夏季県大会制覇の意味合いを、色濃く見せているのかも。

 八重山高校の夏季大会の優勝は、悲願であったのは、剛球投手がいれば勝てるという単純さでは、沖縄県の夏季大会は制することはできない現実。

 八重山高校野球部を甲子園へ行かせる会が立ち上がっても、最初に行けたのは、もっとも新しい八重山商工高校。

 そして、八重山農林高校は、福岡ソフトバンクの中継ぎで毎日のように登場する嘉弥真投手の母校。

 2019年秋季県大会で決勝に進み、12人の少ない部員で沖縄尚学と戦い、終盤に惜しくも逆転負けだったが大いに八重山旋風を吹かせた。

 2018年1月に八重山農林高校80周年記念式典で嘉弥真投手の講演が行われ、全校生徒にプロ入りの経緯を詳しく話すなどし、激励したことで、在校生を刺激しないわけがない。九州大会は勝ち進めなかったが、奇跡的な快進撃だった。

 今回の八重山高校野球部には、中学時代に活躍した選手が多数いる。2017年に石垣島で開催された離島甲子園に、石垣第二中学校野球部が参加し、準優勝となっている。決勝で宮古島の選抜に負けてしまった。

 ただ、この大会中に石垣中学が全国大会に出場しており、石垣島のトップの中学が不在での準優勝。全国の離島から集まっての戦いを経験して、その目指す思いも、中学時代からクリアになってくることに・・・なったかも。

 離島甲子園で特別賞をもらった砂川羅杏選手は、「よくおぼえていないけれども、石垣中学が島にいれば、選抜をくんで優勝できたはず」と、準優勝にとどまったことを、残念がっている節が見えていた。

 県制覇の目標が自発的に生まれるきっかけになっていたことがうかがえる。

 彼らの意思が、大人社会のコロナ自粛のトンネルで、島の最高の灯火(ともしび)を生んだいえる。


 
 (流杉一行)
 

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