6年目となる3・11復興支援式典

3月11日は、東日本大震災が起こってちょうど6年目。午後4時20分から石垣市新栄公園では、震災復興記念行事が開催された。

6年が経ち、しかしまだ復興は半ば。震災への関心が薄れつつあると風化の懸念も進む中、6年目の復興記念式典。毎年出席した中山市長は、今回、全国青年市長会の会長として、被災地での式典に参加のために陸前高田へ出張。漢那副市長が挨拶に立ち、市長の挨拶を代弁した。この日の参加者は120名ほどで、参加者は少なくなる傾向は否めないが、復興支援ソングの「花」がオカリナ合奏で流れると、集まった参加者はいっしょに唄い、子供達も思い出したようにソラで唄うなど、自然に盛り上がって、改めて復興への想いを寄せていた。


この日、強く手を合わせて黙祷する人があった。福島県郡山市から石垣島へ移住した小林忠雄(79)・幸子(77)さん夫妻だ。「こんな離れた場所でも、被災地のことを思ってもらって、うれしい」と述べていた。

「あれだけの人が亡くなったので、手を合わせたい」と会場に足を運んだという。小林さんは地震で家を半壊され、かつ原発の放射能で千葉の息子さんの家に避難。一年後石垣島に先に移住した息子さん夫妻に呼ばれて石垣入りして5年目。郡山から除染が済んだ連絡があったが家は多少の修理はしたものの半壊のままで、家具も被災当時のまま散乱。今年で県の住居支援の打ち切りがはじまり、これから家族で行き先を思案するという。「地震だけであれば家を直せばそれでよかった。原発の事故さえなければ」と小林さんはつぶやいた。

(流杉一行)

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