41人で密集避け 戦争マラリア犠牲者追悼式 コロナ禍復興慎重に

 6月23日は、毎年沖縄では慰霊の日となる。太平洋戦争末期の沖縄戦で、約23万以上の戦没者の御霊を慰める日として沖縄各地で慰霊祭を催してきた。

 今日、全世界が新型コロナウィルスにより、被害を受ける中で先行きの見えない復興への道を模索している。

 そんな中、75年目の慰霊の日を迎えた。

 石垣市では、正午に行われる恒例の世界平和の鐘打ちし式は自由鍾打となり、午後3時と4時の八重山戦争マラリア犠牲者追悼式と石垣市全戦没者追悼式並びに平和祈念式は、来席者を最小限にとどめて、密を避けた状態で参加してもらい、悲惨な戦争の実相を思い返し、不戦の誓いを共有していた。

「令和2年八重山戦争マラリア犠牲者追悼式」は午後3時から石垣市バンナ岳の麓、県営バンナ公園Aゾーンにある八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑の前で開催された。

 一般の遺族や関係者の参加者は、新型コロナウィルス感染危惧からわずかな数で、この日、御供茶と黙祷の後、式辞に立った石垣市長、追悼の言葉を述べた八重山戦争マラリア遺族会の佐久川勲会長、沖縄県知事玉城デニー知事(県八重山事務所長代読)の挨拶のあとは、代表焼香を石垣議長ほか9名が行い、参加者の焼香の後、すぐさま閉式となって、参加者41名のささやかながらも、気持ちのこもった追悼式が行われていた。

 追悼の言葉で挨拶した佐久川勲会長は、
「私は生き地獄の中で、母、姉、弟、妹を失った悲しみは、75年経過しても、消えることがない。・・・八重山平和祈念館建設、慰霊之碑の建立を機会に戦争の悲惨さと、その体験や教訓を後世に正しく伝えていくことは、私たちの大きな使命であり、責務であると私は考える」
と、述べていた。

 (流杉一行)

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