<日曜の朝に>佐久川広海さんの音楽人生

きょうの午後6時からユーグレナモールのゆんたく家で、NOZOMIさんのライブ「ぽけっとポップス パート2」が開かれる。これはプロデュース海の佐久川広海さんが開いている「たそがれコンサート」の47回目。

たった一人でコンサートをプロデュースされる佐久川さんを見るたびに、大変だろうなあ、そのパワーの源はどこにあるのだろうと思ってきた。伝説の音楽喫茶「朱欒(ザボン)」のことも気になっていた。で、今回のコンサートを紹介させてもらうということでお会いし、佐久川さんの音楽人生についても話を聞いた。

NOZOMIさんも同席しての取材。彼女には大事な時間をつかわせてしまったが、「私も佐久川さんの話を聞けてよかったです」と言ってもらえて、感謝。あとのほうでNOZOMIさんのお話も紹介します。

長い話になると思いますが、お時間のある方はどうぞおつきあいください。

●音楽との出会い

中学生のころ、丸映館の真向かいに住んでいました。家のすぐ隣にはダンスホールがありました。
映画の始まる前、1時ごろから木戸口で客を呼び込むための音楽が流れます。流行歌です。上海帰りのリル、黄昏のビギンなどのメロディーが自然に耳に入ってきました。
夕方になるとポマードの匂いをぷんぷんさせたお兄さんたちがダンスホールに入っていく。ダンスホールは瓦屋根で、壁が粟石。中は見えないけれど、粟石の隙間から流れてくる音楽が、タンゴ、ルンバ、チャチャチャ、ジルバ、ブルース……
中学1年の時から自然に聞いてきたこれらの音楽が僕の音楽感性を養ってくれたと思います。これが原点ですね。
映画を観るとき、僕の目的は、マイトガイ、タフガイ、裕次郎とか赤木圭一郎とかの俳優ではない。日活映画のアクションものの中に、たった数秒間出てくるジャズ喫茶の風景と音楽でした。真っ黒な壁にマイルス・デイビスのアップ、アートブレイキーの顔写真、そこに流れるジャズ、これに僕は興味があった。映画の中のジャズに魅了されました。
中学卒業後、親戚のおじを頼って沖縄に出ました。専門学校に通学しながら、夜は米軍クラブのバーテンダーをして、ジャズ喫茶に通いました。
桜坂琉映(今の桜坂劇場)のななめ向かいに「パンセ」というジャズ喫茶がありました。普天間には、テリー重田の「ディグ」というジャズ喫茶がありました。その2軒にはほんとによく通いましたね。
グランドオリオン(映画館)の真向かいには映画音楽専門の喫茶店があった。コーヒー1杯25セント。3時間も座ってエデンの東、太陽がいっぱい、栄光への脱出などの映画音楽を聴きました。
青春時代はどっぷりと音楽につかっていました。

●伝説の音楽喫茶「朱欒(ザボン)」

買い集めた24枚のレコードを持って石垣に帰り、21歳の時(1965年)に、元の琉球銀行の西に音楽喫茶「朱欒」を始めました。
本格的に音楽を聴いてもらいたいと思っていましたので、相当な装置をそろえ、間口3間・奥行き2間のステージ、ホリゾントを開けるとスクリーン、壁はギャラリーにしました。多目的空間ですね。
観光客の学生が「いま石垣島のザボンという喫茶店にいるんだ。ジャズが流れているんだぜえ」とピンク電話で興奮して大声で喋ってましたね。
音楽専門誌が「南の島のジャズ喫茶」と紹介しましたが、スクリーン、ラテン、クラシック……ジャンルにこだわらずいい音楽を提供しようと思っていましたから、ジャズ喫茶ではなく音楽喫茶ですね。
クラシック音楽が好きな人が、自分の家では大きな音で聴けないのでとレコードを持ってきてここで聴いたりしていました。
ミュージックエコーという愛好会をつくって代わりばんこでレコード特集をして楽しみました。12月25日にはヘンデルのメサイア、年末にはベートーベンの第九のレコードコンサート。
テリー重田さんら5人のメンバーを呼んで店内でライブをやり、そのまま吉原のキャンプ場で「ビーチジャズコンサート」。売店から長いドラムを2つ繋いで電気を引っ張って、浜でキャンプを張ってジャズをやりました。
一時琉米文化会館の東に「朱欒珈琲館」もやっていて、そこで八重山アルスの会(音楽鑑賞団体)が生まれました。旗揚げ公演はバイオリニストの辻久子さんを東京から呼びました。
……朱欒の経験を思い出すと、いろんな枝が出てきますね。喫茶店から文化活動が生まれた、そんな時代でしたね。
44歳の時(1988年)に朱欒を閉めました。

●プロデュース海の活動

札幌を訪ねたとき、夕方、ススキノのストリートで札幌交響楽団のメンバーが4人、バイオリン、ビオラ、チェロで演奏しているんです。ピエロがいて、ほかにもストリートパフォーマンスをやっている。とてもやさしい街だなあ、しゃれていると思いました。よし俺は石垣に帰ったら、自分の街でもやろう、と。
2006年5月5日、たった一人で「プロデュース海」を発足させました。
一人でやることはとても効率がいい。自由で、自分で発案して、選択して、即決です。すぐスタートできます。また、クラシック、古典音楽、フォーク、いろんな分野の方々と、仲良くおつきあいさせていただいているのは、一人でやってきたからじゃないでしょうか。
札幌から帰ってきて、今まで自分がつかっていたレコードが眠っている、それを活用しようと、2006年6月に「マイコレクション・レコードコンサート」をスタートさせました。舟蔵の里で、第1回のゲストは潮平正道さん。レコードを持ってきていただいて、音楽にまつわる話などをしていただきました。
「たそがれコンサート」のスタートは2011年12月23日におこなったコーラスグループ「まみーず」さんのライブ。
近年建物がコンクリートになって、音楽ライブなど建物の中でやるのが普通になりました。黄昏のひとときにメロディーが流れる街の風景がこの石垣の街でもできるんじゃないか、その1時間が地元のアマチュア音楽家のミニ発表会にもなればとという気持ちです。
八重山にはこんなに大勢のアーティストがいらっしゃる。みなさん喜んで参加してくれます。外国出身の方も大勢いらっしゃる。そういう方々も紹介して交流の場にもなった。いまはIT時代。ささやかな街の文化活動、石垣の街の風景が海外にも発信されるのはいいことだと思います。
いま、市役所移転で美崎町の再開発が話題になっています。これまであちこち屋外で「たそがれコンサート」をやってきましたが、改めて石垣を見てみると、那覇の国際通りのてんぶす館前の広場くらいの場所があればいいなあ、と思いますね。
そういう市民広場、音楽空間ができれば、保育園の子どもたちがステージでお遊戯の練習をしたり、中高校生の音楽パフォーマンスができたり、市民団体がここでイベントしたり、そんな野外の広場がほしいですね。
旅行客が通りすがりに音楽が聞こえる、そういう町並み。

どうしてボランティアでここまでやるかって? 単純ですよ。
私たち、仕事が終わるとちょっと一息、ビールで500円とかつかうでしょ。
ゲートボールとか、釣りとか、そんな趣味の活動にもこづかいが必要。
そういう気持ちで僕のこづかいはこれにつぎ込んでいるんです。

◎NOZOMI「ぽけっとポップス パート2」

さて、ここからは今回の「たそがれコンサート」に関する話。それぞれ佐久川さん、NOZOMIさんに語っていただこう。

●佐久川さん

「NOZOMIさんとはフィーリングが合うといいますか、1回目は「歌謡曲を歌う」、2回目の今回は「ぽけっとポップス」。彼女のポケットは深いなあという感じを僕はもっていて、そのポケットの中から今回は、洋楽系のフォークはどうですかと提案させていただきました。たとえばブラザースフォー、ピーターポール&マリー、ボブディランなど洋楽のフォークを歌うアーティストは石垣にはあまりいらっしゃらない。今回は手書きの歌詞集も用意してくださっています」

●NOZOMIさん

中学生の時にギターをすこし。専門学校を出て、ラブハウスに就職。そのライブハウスで友川かずき、三上寛さんなどに圧倒されて、とても太刀打ちできないと音楽から離れた。22歳の時に援農隊で西表島へ。時間をもてあまして、石垣に出た時に根間楽器でギターを手に入れて、西表で年2回の援農隊のコンサートに出演。その後石垣へ移住。結婚・出産を経験。自分の時間をもてるようになって音楽活動を再開した。
「CITY JACKで開かれる毎週金曜日の”マー先生の金曜ライブ”に3年ぐらい参加させてもらっています。一方でオリジナルをつくったりもしていますが、みなさん馴染みのある歌のカバーを自分なりの表現でやっていきたいというほうが強いですね」
「拝見したことはないのですが、歌声喫茶のことを聞いたときに、今回のコンサート、みんなで一緒に歌う空間にしたいなあと思って、歌詞集をつくりました。当日配布します」
「八重山は自分に近い感性の方が多いと感じています。温かいけど、どこか厳しい目線もあって、バランスがあっていいなという感じ。文化活動が盛んですし、体もリフレッシュでき、心地よく暮らせます。自分に合った島ですね」

*上写真、NOZOMIさん(左)と佐久川広海さん

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