海の日みなとまつり開催 4年ぶり 石垣港開港は1924年

 7月17日、午前10時から海の日恒例の港まつりが4年ぶりに開催され、離島ターミナル周辺は多くの市民や観光客が集まり、コロナ禍からの開放感も手伝って、炎天下にも関わらず出店や船上ステージ前は大いに賑わっていた。

 小型ヨット体験試乗会、パネル展サンゴクイズ・ぬり絵コーナー、ヨットセーリング、海保の巡視船一般公開など多彩なイベントも実施された。

 旧離島桟橋では、八重山高校郷土芸能部の演目7曲が連続で舞われて、見事に多彩な編成を見せつつ、工夫された演出に、観衆は大いに喜んでいた。

 八重山農林高校からのバンド「ハルサーシンカ」も出演。遠征費を稼ぐタオル販売もアピールしながら、ステージを飾っていた。アラジャズカルテットや、かつて幼かったグループKI-HATが4年ぶりの久々の出演などもあり、盛り上がっていた。

 竹富島、小浜島、与那国島、石垣島と、各島の民謡が歌われると、それを求めて高齢者も若者らの陰から隠れるようにして観ている様子も見られて、民謡好きには、デンサー節、小浜節、与那国ションカネー、とぅばらーまなどが聴けるとなると、みなとまつりは楽しみのひとつになる模様。

 またこの日は、夏川りみが特別出演して挨拶するシーンも見られて、聴衆は大いに盛り上がっていた。

 午後6時40分からは、海の日らしくリカ・トモール(リカトモールは「海へ行こう」の方言)のライブからはじまった歌の祭典は、池田卓とみやぎまもるの二人のライブが続いて、夕暮れの涼しい時間を聴衆は充実して過ごしていた。

 港での夕暮れの時間は、ある種、趣があって、ライブを楽しめるのは実に贅沢かも。
 
 この日は、午後2時から離島ターミナルで開港60周年記念式典も開催され、港の歴史を思い起こす節目ともなった模様。

 空港の旅客機が市民の足になる前の島の玄関口が石垣港だった時代は、730交差点は砂浜で、そこから突堤が伸びるだけの港に、艀(はしけ)となる小舟が大型船まで行き来して、人や物資が島に運び込まれ、物流が稼働。

 そんな木造の桟橋により石垣港が開港したのが大正13年(1924年)とされる。

 浜崎町の名前の由来でもある浜崎荘一社長が八重山桟橋株式会社により営業を開始して、10年間民営で稼働した後、昭和8年の台風で壊滅的破壊を受け、昭和10年に石垣町が引き継いだ。このときに4万3000円の国庫補助金で初のコンクリート桟橋を実現。

 施設が島で維持可能な条件は、この台風に負けないつくりが有るか無いか。そこ尽きるにことが示されている。

 石垣港は艀(はしけ)で中・大型船に乗り移る形が、1960年まで続くこととなる。琉球政府時代に、米国民政府が港湾の建設を認めて、その場所選定でもめ、現桟橋、名蔵、宮良と候補地で意見が分かれ、米国民政府の調査で現桟橋に決定。もし、宮良や名蔵であったなら、今の四か字人口集中はなかった可能性もある。宮良では東周りの航路が盛んになり、名蔵では西回りが盛んになる。石垣島一周道路がなかった時代だけに、道路が海岸沿いではなく、内陸を通る道ができて、今とは違う島があった可能性が見える。

 石西礁湖というサンゴの浅い海底を絶えず掘らなければならない事情が、つきまとうことまで、考えていたようには思えない。

 かくして、1960年4月に起工式を実施。3年2か月をかけて1963年(昭和38年)6月1日に新石垣港が開港。大型船が岸壁に接岸可能となった。

 この時代から石西礁湖の砂の掘り出しが続くこととなった。

 今、島のあちこちの海岸で砂が消えていく現象が起こってる。竹富島の南側の海岸ではじまり、底地ビーチまでも砂が消えはじめている。

 砂を動かし続ける工事で、利便性は高まるが、国内唯一の石西礁湖がズタズタ。台風があるたびに、砂は動く。永遠の砂遊び。

 旅客船が消え、石垣港はタンカーや大型貨物RKKの物流とクルーズ船の接岸場所となった。離島ターミナルは住民より観光客に独占され、違う世界に移行しているかに感じてしまう。今また、2019年のオーバーツーリズムの空気がよみがえってくるかに、息苦しく感じる。

 港について、じっくり考えてみたいものだ。外から来るものにかく乱されて、何が何だからなくされて、横文字だらけの意味不明な、いい加減な言葉に丸め込まれるのは、バブル時代から変わりはしない。それが日本の歴史の課題でもある。

 観光は、島の経済が島人のサイズで自立し、しっかりしていて魅力があれば、観光客が来る形がいい。

 観光に依存し、気が付けば外資に支配され、安い給与で多忙を強いられ、ボロボロになりながら我慢する観光は、島の望む姿ではないはず。

 港の物流を、もう一度見直すべきかも。いったい何が大事なのか。いろんな人の話を聞きたい。
 利権や濡れ手に粟の人の話に、警戒しながら・・・。
 (流杉一行)

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