人口5万人記念達成セレモニー 5万人目の新稀悠君に記念品

 7月14日午前9時から石垣市役所1階市民広場で人口5万人記念達成セレモニーが行われ、7月10日に5万人目の市民となる新稀悠(あら きゆう)君の届けが市役所にあったことから、石垣市は、記念品を贈呈した。

 この日、新生児の新稀悠(あら きゆう)君(0)の父親の新慎太郎さん(39)、母親の新祥子さん(33)、姉の智有ちゃん(2)の4人の家族が揃ったところで、中山義隆石垣市長から記念品が手渡された。

 新慎太郎さんは「マイペースに生きてほしいという思いを込め、稀という字と悠という字で「きゆう」という名に命名したところ、稀な祝福を受けることになって、驚いています」と5万人目の石垣市民になったことを喜んでいた。

 石垣市が4万人台になったのは、1964年の大浜町と合併して石垣市が誕生した年。当時、4万1265人で大浜町から1万3835人が合流しての達成だった。

 その後、復帰前の大干ばつや台風被害で年々人口が激減。昭和47年(西暦1972年)には3万4679人まで落ち込んだ。
 あれから、再度4万人台に達したのは昭和54年(西暦1979年)。平成に年号が変わる時期の前後1988年から1991年の4年間で1193人が減る。4万3000台から4万2000台に落ち込むも、それから92年から32年経て、ようやく5万人台に到達。

 国の人口が減少傾向にあり、2008年の1億2808万人をピークに減る一方ながら、石垣市は着々と5万人に近づいてきて、この日を迎えたことになる。

 石垣市でのこの種のお祝いは初めてではない。2015年7月に4万9000人台達席記念セレモニーが実施されている。あれから1000人増えるのに約8年かかったことになる。

 これは、日本全体の人口減少を考えると、日本最南端でのこの達成はある種のミラクルとしてとらえてもよいかも。

 (流杉一行)

 島民が増えることは大いにうれしいが、昨今の観光客数の爆発増加から、またコロナ前の繁忙期が来るのかと思うと、気分がすぐれなくなる人が、これから増えるかも。
 移住者の増加も、台風の怖さも知らずに簡単に移住されると、そこで増減をくりかえすのは、よいこととは思えない。
 クルーズ船の観光客が、八重山の自然に触れる観光ではなく、大型店舗でのショッピングだけでは、大企業の吸い上げ装置が機能するだけ。
 トイレし尿処理とゴミ処理、土地買いあさりや、ある時突然に島のナマコが消え去ったような、不思議な現象が起こってくるのも頂けない。外国人観光客だけではない。生物が売れるとなれば、何が始まるかわからない。

 島内では、バスやタクシー、レンタカーでどんどん道が混み、交通事故も起こってこよう。
 観光関連従業員の多忙さが、子どもへの目配りも落ちる可能性がある。子供たちが学び遊べる場所が、あまりない島だ。
 学校での活動も、教師の長時間労働を抑えるべく、下校促進。
 AI時代にあって、島の許容量ぐらい出せそうなもの。過剰な観光施設の増加をコントロールできなければ、この先どうなるのか。心配だ。

 

 

この記事をシェアする