11月9日、午前9時から石垣市健康福祉センターで第30回石垣市健康福祉まつりが開催され、多くの市民で会場は賑わった。
同センター集団検診ホールでオープニングセレモニーが行われた後、第39回障がい者週間市民のつどいが開催され、ふれあいステージか開幕。
「三共(ともに)の心でつくる、ゆめ・みらい・いしがき」を目指して、石垣市視覚障がい者協会や通所施設ひまわり、八重山育成園・おもと学園など7団体が演奏や舞台を披露して会場を盛り上げた。
また、8日からはじまった八重山地区障がい者美術展の表彰式もおこなわれ、作品作りに力を注いで見事受賞した者に、多くの人の注目が集まっていた。
午後1時からは集団検診ホールで「第7回離島がんフォーラムin八重山」が開催され、会場にはがんに関心ある多くの市民が集まった。
冒頭、ハモニカによる合奏がおこなわれ、きれいな音色に合わせて口ずさむ人も出て、なごやかに会ははじまっていた。
「地域で紡ぐ、ぬちぐすい」と題して第一部は患者の立場から西垣みゆき氏が「『命どぅ宝』と言うけれど~あなたならどうしますか?~」を講演。
西垣さんは、がん経験者の看護師で組織するサバイバーナースの会「ぴあナース」のメンバーで、乳がんに罹患した経験を生かしてがん患者の支援活動を実施している。
この日、元看護師の西垣さんが、がんに罹患した体験から、ぴあナース活動の仲間との交流を通じて、見えてきた離島におこる医療の現状を紹介していた。
冒頭、これまで八重山病院の看護師だった時には、西垣さん自身が罹患するとは考えたこともなかったことを吐露。その落差を正面から受け止め、赤裸々に感じたことを会場で発表していた。
西垣さんの場合、医師からがんを突然に告げられて、沖縄本島で治療を開始。石垣から通う人が治療の続かない状況を知り、不思議に思ったが、まもなくそれが渡航費や入院費、放射線治療費と、負担の厳しさからであるのを身をもって知ったという。
それでも日本は、国民皆保険があり、所得に応じた高額医療費の補助がある。西垣さんがかかった費用もこの日発表して、月8万×2の16万円の入院費に治療費が週払い5万円の5週間で25万円プラスα。
沖縄本島への通いを考えると、これだけでは済まず、なお離島であったりすれば、なお厳しい負担となることを述べ、離島のがん治療の厳しさを述べていた。
石垣で治療する方法もあるものの、変更すると担当医の変更ともなる。また問題がおこると、どこどこの病院へと沖縄本島の病院が推薦される。結局、島では限界があることになるという。
一度、沖縄本島の医師に問いかけた。「先生は石垣島の医師に診てもらうか」と。すると「馬鹿な」と一笑されたという。
なお西垣さんは、全国でがん患者へのフォロー活動が盛んになっていることを紹介。がんに罹患した人への接し方への注意事項などを披露して、最後は、ぴあ活動を通じて知った仲間の声を紹介。がん患者の本音や、医師から傷つく言葉を言われたことなど、がん患者の側にしかわからない辛さを、紹介していた。
看護師ががんになることで、自身が患者の立場になって初めて知るものがあるという。患者としての気持ちを大切に、改めて自らの過去の看護活動を振り返ると見えてくるものがある。患者と医療者との間に想いのすれ違いや患者の心が置き去りにされていることに気づくという。
この貴重な体験を患者支援に活かしたいと活動するサバイバーナースの会「ぴあナース」は、がん患者の支援に力を尽くす模様。
第二部では医療者の立場から、琉球大学 大学院医学研究科腫瘍病理学教授の吉見直己氏と総合診療医・産業医で南の島の健築アドバイザーの城所望氏が講演。
吉見氏は「がん発生と予防および次世代の治療」~病理医のがんとの関わり~についてプロジェクターを使ってわかりやすく、がんの発生メカニズムやがんの予防法を述べていた。
なかでも、がんの発生を告げるのは、一般の医師ではなく、病理医であることを述べ、日本の病理医師が極めて少ない実情を述べていた。
また定期検診で胃カメラなどで異常見つかった場合、その検査に患部を採取してパラフィンに漬け検査するため標本をつくるのだが、八重山ではこの標本をつくるための機材がないために、わざわざ本土に毎年1500から2000の患部から採取したものを送り、検査を実施しているとのこと。
一方、宮古島には機材が設置されたが、それを運用する人的配置がないために、機能していない実情を述べて、離島における医療が後回しにされている不思議な県の姿勢を述べていた。
城所氏は「心のくすり箱」~ストレスや怒りの処方箋~と題して、ストレスの回避、怒りを爆発させない方法について講演。
ストレスに悩む時には、その処方箋となる方法は思いつかないもの。
ストレスを感じない内に、ストレスの解消法を書き込んでリストをつくることを勧めると語る城所氏は、自分に合ったストレス解消法を書き込んで、それが心のくすり箱になると述べていた。
(流杉一行)