琉球國祭り太鼓八重山支部25周年式典

 12月17日正午から平得公民館2階ホールで琉球國祭り太鼓 八重山支部結成25周年式典・謝恩祝賀会が開催された。

 琉球國祭り太鼓八重山支部は1992年に本部10周年記念式典で結成され、今年で25周年を迎えたことから、ゆかりある人を招いて式典と祝賀会を開催したもの。

 1993年には八重山海開きに登場して、会場を盛り上げて、多くの人に感銘を与えた。

 当初は、エイサーの文化は昔から八重山にはないとされる中、琉球國祭り太鼓が太鼓好きを集めて、人々を鼓舞する場をつくり、どこでもエイサーを披露するシーンを現出。

白保出身の新良幸人の歌声が鳴り響く曲に合わせたエイサーは、見事に八重山の人々の気持ちをつかんでいった。

エイサーの文化が、アンガマの文化を駆逐するのではないかという不安もあった中、時間と伴にアンガマも盛んになり、エイサーも沖縄本島出身者の間で、島で広まり、いくつかのグループも生まれた。

 会場に来てから感謝状を得ることになっているのを知った兼島秀樹石垣やいま村取締顧問は、「観光客の増加が135万を越える勢いを感じているが、観光客は今ひとつ地元の人とふれあう時間がない。そこで我が社に就職を考える人があれば、歓迎。いつでもエイサーが披露でき、よいアピールができると感じました。」と、思いつきも交えて、村の中でのエイサー披露に前向きな発言をしていた。

 この日、25年を経たことで、4半世紀という大きな区切りを迎え、人々を応援するエイサー隊は、式典と謝恩祝賀会を通して多くの人とこれまでの事を分かち合い、次なるステップに気持ちをひとつにしていた。

写真は、今年の石垣島まつりパレードの琉球國祭り太鼓の様子

(流杉一行)

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