明和大津波遭難者慰霊祭

 4月24日午後2時55分から石垣市宮良のタフナー原にある明和大津波遭難者慰霊之塔で、令和5年度明和の大津波慰霊祭が開催された。

 約130人の市民が参列する中、252年前に起こった大津波で遭難した9千人以上の犠牲者の御霊に哀悼の誠をささげ、またいつ起こるとも知れない地震・大津波への備えの必要性を、改めて確認していた。

 中山義隆石垣市長の献花・式辞の後、石垣市立大浜小学校6年の大浜美愛さんと石垣市大浜中学校2年の安藤夕海さんによる作文朗読がおこなわれた。

 大浜美愛さんは、今も津波が「いつどこで起こるかわからない」として、「避難の仕方や家族との連絡の取り方を自分事として、真剣に考え、行動できるようにしなければ」と、述べて、命を守り切る力をつけたいとしていた。

 安藤さんは、自然に打ち勝ち、津波を追い返すことはできないが、被害を少なくすることはできるはずと述べ、自然災害に対する知識を深め、命の重さを知ることが大事だとして、「明和の大津波を乗り越え繋がれてきた命と美しいこの島を残したい。だから、私は全ての命に感謝して、今を精一杯生きていく」と、過去の命とつながる今の自分に言い聞かせるように、宣言していた。

 このあと、代表献花が行われたあと、出席者がそれぞれ献花台に花を献花していた。

 なお、八重山では1771年の明和の大津波以外にも、多くの人を脅かす地震が起こっている。

 石垣島で1625年、1667年、1714年、そして明和の1771年(M7.4)、その後1915年(M7.4)、1958年(M7.2)、2002年(M7)、2001年(M7.3)。

 西表では1992年の群発(M4.9)、1993年(M4.1)、2000年(M4.9)。

 与那国では1966年(M7.8)、2004年与那国で(M7.4)、2015年与那国で(M7.4)。与那国島が最近続いている。
 
 さて余談だが、1771年の明和の大津波の地震の震源がわかっておらず、謎なことが最近知らされている。

 八重山の海域には、鳩間島の北に今も海底噴火口が活動しているのも知られている。
 南海トラフが危ないという声が本土で高まっているが、他人ごとではない。プレートは違っても隣接していることは間違いないのだから。

 (流杉一行)

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