9月30日、午後7時頃、八重山地方に台風18号が接近。石垣島では午後6時頃から風の勢いが増し、風切り音が屋外から室内に聞かれるようになり、午後7時には風速25m以上の暴風域に入った模様。
時速20キロのスピードで北上していた台風はこの時点で25キロにアップ。
午後8時には本格的な暴風が吹き荒れそうな様相だったが、8時30分には風はそれほどでもない。
最接近は午後8時に予測されたが、実際、衰えて感じられたことから、過ぎっ去ったからかも。このあとは、返し風が来る。
今回の台風は20キロのスピードで移動。
昔は遥か東の海上から近づき、まっすぐ石垣島を目指して直撃。島上空で偏西風に影響され、ゆっくり方向を北に切り替える間、スピードが止まったように異様な停止ぶりで、被害を増大させた。接近時は10キロとゆっくりしたものだった。そう、遅いほど怖いのだった。
今回、昔に比べれば、ヘクトパスカル値からしてやさしい台風に入る部類。
石垣島での停電は少ないまま通過してくれそうな雲行きだったが、21時51分、石垣島市街地で停電発生。即52分には復旧。午後8時の時点で石垣島北部地区(大里・桃里・大浜・宮良・白保・盛山・川平・崎枝)および名蔵地区でも停電発生。竹富町でも小浜・西表・新城・波照間の870戸で停電。与那国では停電発生。
この日、午前9時半頃は、台風接近を感じさせる少し強めの風が辻々で及ぶ中、市街地では多数の車が走って、少し異様。年度末のこの日は、消費税8%最後の日でもある。
交差点は行き交う車の両の多さと、歩く観光客の多さが目立つが、一方で日曜でもないのに、シャッターが下りた店の多さは普通の島の台風対応。
中心市街地のユーグレナモールはシャッター降りた店と営業中の店がまだらに展開。旧離島桟橋エリアもしかり。
昼食をとる時間には、観光客は営業する店に殺到して、順番待ちの状態が見受けられた。
空路も海路も全便欠航。行く場がない観光客は、港につながれた船の様子まで写真撮影と、ちょっと可哀そう。
島人は、すでに台風の備えを終えており、買い出しに家族連れでスーパーに押しかけて、消費税8%最終の買い出しと台風時の食料調達をしていた。
今回の台風は、規模的にはかつて何度の襲来した台風の標準サイズ。最大風速35m級で、瞬間風速は45mほど。
石垣島地方気象台は最大風速35mに対して瞬間風速50mを予報している。
さかのぼること10年前までの常襲時代とされた頃、本当に夏場は台風に震えたものだ。なかでも1994年は5発の台風が石垣島を襲った。
最大瞬間風速60mクラスに近いものが連続襲来。山も一面茶色に染まった。が、本土はさらりと報道したもの。
本土が八重山の台風に注目し始めたのは、本土へ向かうようになってから。常襲時代は最大風速と瞬間最大風速との差は10mほどだった。今は違う模様。
与那国では、45m級の台風が間近となるため、停電は必至。なるべく西にそれることを祈るのみ。
今回の瞬間最大風速は、登野城で43・2メートル。パーソナルな気圧計では台風最接近は、19時13分頃とみられる。
マックスバリュー、ファミリーマートなどの深夜営業の店は台風閉店。ただ、24時間カフェや一部の酒場などは頑張っていた模様。
今回、携帯およびインターネットが21時40分にダウン。通信が完全ストップ。
市街地では21時51分の停電だが、回線が切れたのが市街地停電9分前。西から吹く返し風の影響と思われる。石垣島での瞬間最大風速が40mクラスでこれでは、どうなのか。最大風速は30mクラスでしかない。
何かが劣化し始めている。この程度の台風でこの事態は意外すぎるといえる。
防災、金融などのほか、インターネット関連事業を始めとする通信に依存する事業者や個人には、大きな不安を与えたことは間違いない。
携帯・ネットは10月1日午前8時30分頃に復旧。原因の発表はまだの模様。電話回線8600回線、フレッツ光1万3200回線が断線。石垣島地方気象台も計器からのデータ取得が困難となって、把握できないままとなり、復旧後に解析となっている。
ただ、強風残る時間に復旧に携わった人々の尽力が午前8時半の復旧を呼んだことは、間違いない。
25年前、避難所への避難者はほとんどいなかった時代、猛烈な台風が何度も来た。
八重山は、移住者も増え、高齢者世帯も増加する時代となり、核家族化も進展し、観光客も138万を記録。島の様相の変化と台風対策は無関係でありえない。
(流杉一行)