6月23日午後4時からは、八重守の塔にて令和元年石垣市全戦没者追悼式並びに平和祈念式が開催された。
この日、表千家不白流沖縄支部八重山による御供茶が奉納されたあと、平和の歌声として、いしがき少年少女合唱団による「月桃」と「ふるさと」の2曲が披露され、会場は少年少女の美しい歌声が響き渡り、聞く人の心を癒していた。
このあと、「平和を考える作文」で最優秀賞に輝いた大浜中学校3年の辻野愛瑠さんが「祖父が残してくれた手記から」を朗読。
「祖父の貴重な手記から悲惨な戦争を風化させてはいけないと強く感じた」と読み上げていた。
そのあとは優秀賞の石垣第二中学校3年の南慎之輔さんによる「魂の聲」が続き、「ひいばあちゃんの『戦やならんどぉ』の言葉だけは、脳裏に焼き付いている」と告げて、会場は二人の平和への真剣な思いが披露され、改めて平和への祈念が深まっていた。
黙とうが行われたあと、石垣市長の中山義隆氏による献花と平和都市宣言が読み上げられた。
追悼の言葉では沖縄県遺族連合会八重山支部の喜友名盛允八重山支部長が、
「戦後74年が経ち、あの悲惨な戦争体験を知るものは歳月と共に減少し、現在では戦争を知らない世代は80%以上がとなり、親も知らない世代がますます増え、戦争の風化が危ぶまれている」と述べ、
「今享受している自由で平和な世の中は、戦没した多くの御霊の尊い犠牲のもとにあることを、我々遺族はいかに時代が変わろうとも忘れることは致しません」とし、
払われた御霊の尊い犠牲を「歴史的教訓として、沖縄の魂の原点として、後世に恒久平和の大切さを正しく伝えていくことは、私たち命あるものの責務と思う」と述べて、平和の社会建設に向け不断の努力をしていくことを誓っていた。
代表焼香のあと閉会となり、そのあとには参列者の追悼がおこなわれていた。
(流杉一行)