誰もが住みやすい社会を築きたい/自立生活センター南十字星

▲10万人に1人の割合で発症する「脊髄性筋委縮症」という重度の障がいをもつ金城太亮代表(写真:右)左はスタッフの井上正太さん。

大浜中学校の向かいに「自立生活センター南十字星」を設立されて5年。

現在はスタッフ15名で障がい者への様々なサービスを提供し、通所者は金城代表を含めて4名。

「誰もが住みやすい社会を築きたい」と強い意志をもつ金城代表の生い立ちと自立生活センターについて話を聞いた。

◆生い立ち

名護市に生まれて、生後3ヶ月で今の病気が発症しました。
兄が二人と姉が一人の4人兄弟です。

5歳の頃から親元離れてずっと施設に入っていて、22歳の時に僕の先輩たちが一人暮らしをしている姿を見て「もしかしたら僕にもできないかな」と思ったのがきっかけで一人暮らしを始めたんです。

僕はパソコンを使うのが得意でパソコンでデザインをやっていたんですよ。
夢がデザインの仕事だったのでデザイン関連のいろんな会社に面接を受けに行ったんですけど、「障がい者だから」と電話でほとんど断られたんです。
でも1社だけ受けいれてくれる会社があって、そこで4年間観光雑誌のデザインをしました。沖縄県が出版している雑誌を外国人向けに翻訳する作業もやり、その会社で4年間働きました。

僕の病気は「脊髄性筋萎縮症」といって、筋肉がどんどん衰えていく病気なんですね。昔できたことが今できなかったり、今できたことが来年、再来年できなくなったりするんです。今、実際に動かせられるのは左手の親指だけなんですよ。でも昔はもっと動いたんです。

そういったのもあってデザインの仕事を4年間やって大分筋力が衰えてきて、これ以上やると職場の方にも迷惑がかかってしまうということもあり自ら退社したんです。

辞めた時に「じゃ今後どうしよう」って考えた時に、重度の障がいの方にも活動できる今の仕事に出会いました。宜野湾市にある沖縄県自立生活センター・イルカ(本社)には3年くらい務めて、入社してすぐに役員として活動をしました。そこから「石垣に行かないか?」という話が出て、最初は自信が無かったんですが何度かそういう話を得て「じゃやってみよう」って思いになり今に至ります。

◆石垣に立ち上げた理由

宜野湾市の自立生活センターに勤めている頃に、宮古島と石垣島をめぐって実態調査をやったんですよ。障がいを持った方がどれだけ在宅や施設にいるのか調査したり、実際に本人たちの声も聞きました。「自立したいけど環境が無い」「設備がない」と言う声が実際に上がっていて、自立生活センターが石垣島にも必要じゃないかっていうのがあってすぐに立ち上げたんです。(当時31歳)

障害を持った方が「地域で暮らしたい」と言っても制度は整っているんですけど、それを提供する環境というものが整っていなくて、どうしても今の石垣市の現状で重度の障害を持った方のサポートをしてくれる事業所というのがなかなかありませんでした。

障がい者へのサービスを提供しながらこの社会を変えていこうというのが僕たちの一番の目的なんです。

「社会を変える」というのは障がいを持った方と関わったことのない人たちもいっぱいいると思うので、そういった人たちに「障がい」ってことでの持っているイメージというものを壊していくというのがこのセンターのもう一つの目的なんです。

僕が今”呼吸器”をつけて出歩くと、そういう人は石垣島にはあんまりいないので周りからたくさん見られるんです。でも段々こうやって出かけることによって相手も慣れてくる。そして「こういう人もこの地域にいるんだね」とういうのが分かればその人たちの意識も変わっていくんです。なので障がいを持っている方が地域に出ていろんな活動、遊びでも何でもいいと思うんですけどいろんなことにチャレンジしてほしいと思っています。

◆ILP(自立生活プログラム)について

ILPは、この日常の生活についての勉強なんですよね。
外出の仕方や金銭管理、調理実習などを指導というか一緒にやってみる。失敗をすることは悪いことじゃないので、失敗して「あっこれは失敗したんだ」っていうのを勉強していく。あとは人との関係の作り方っていうのが施設にいるとやっぱりなかなか無いんですよね。

施設の方はやってあげる方針でやっていくので「どうやって自分のやりたいことをアピールしながら関係をつくっていくか」っていう考える力や限定された人間関係の中で得られなかった力を取り戻す必要があるので一緒に勉強していくんです。

◆ピア・カウンセリングについて

まずピアっていうのは「仲間」ってう意味なんですね。
いろんなところで使うんですけど、障がい者同士っていう意味だけではなくて同じ病気の人たちが支えあうこと。

例えば、同じ病気の人がいたらそういう人同士で実際に会って話をして、いっぱい共感を得てもらう。そして共感を得ることによって「僕だけじゃないんだ」っていう感覚が生まれてくるですよね。そこで心のケアとサポートしていくんですよ。

◆僕たちの考える自立

自立というのは一般的に言うと、まず親からの自立だったり、経済からの自立だったり、何でも自分でできるようにっていうのが一般的な解釈ですよね。

うちで言う自立っていうのはそういう意味ではなくて、できることはやっていいと思うんですけど、自分でできないということもちゃんと意識して、できないところをヘルパーさんに手伝ってもらう。

例えば、自分で頑張って洋服を着ることができる人がいたとして、洋服をつけるのに1時間かかってしまう。でもヘルパーさんが手伝うことによって3分でできた場合、残りの時間はもっと有意義に使いたいですよね。

なのでできないことを無理して頑張ることが全てではなくて、できないことは「できないです」と伝える。周りの力を借りてでもできるようになれば、残った時間をもっと自分の為に使えるんですよ。

そうしないと障がい者って頑張ってるっていうイメージが一般的にあるので、どうしても本人も頑張らないといけないっていう意識が自然に出てしまうんです。そうではなくて頑張るのではなくて、できないことは一緒にやる。いろんなことにチャレンジする時間っていうのを増やしていくことが大事なんです。

頑張る人は一日の中で食事を作って片づけるのに3~4時間かかる。また、トイレに行くのも1時間かかる。そんな生活やっていたらもう生きるために必死な時間しかないですよね。

そうではなくて、ゆとりのある生活が持てれば良いと思うんです。僕たちが考える自立っていうのは、そういった経済とか親からの自立ではなくて周りの力を借りて自分の生活を自分らしいものに変えるっていうのを大切にすること。時間の有効活用ができるようになることなんです。

◆今後の目標

もっと社会に僕たちのことを知ってほしい、理解してほしい、っていうのがやっぱり活動の大きな意味にあるので、ここはどんどん出歩くっていうのもそういった運動の一つと思っているんですよ。だから僕は普通に居酒屋も行くし、お酒も飲むし、夜遊びもする。他の人と変わらないんです。

先月(8月)に「自立生活塾」っていうのを開いて、同じ当事者を集めて青少年の家で合宿をやったんですよ。そこでヘルパーさんを使いながら「自分でやりたいことを見つけて自主的にやってみよう」と、そんな形で仲間が一人でも多く社会に出て行くきっかけになれば、それが大きな運動になると思ったんです。それが社会を変えるきっかけに繋がると感じています。

僕たちは「重度の障がいを持った方が暮らしやすい社会と言うのは誰にとっても暮らしやすい社会になる」と考えています。妊婦さんであったりお年寄りであったり、そういった人たちにとって良い社会になるということを信じてずっと活動しています。

ただよく「障がい者」という枠組みだけでアピールしてるって思われるんですけど、僕たちの中ではそうではなくて、僕たちがアピールすることによって社会全体が良くなるということを信じてやっていきたいと考えています。

◆最後にメッセージ

僕はここに来て感じることが、「自分にはできない」と思っている人たちがやっぱり多いんですよ。「やろう」という思いがあれば「それは現実に変えていけるよ」っていうのをすごく伝えたいです。


▲インストラクターに操作の指示をしながらパラグライダーに乗る金城さん


▲パラグライダー装着のため呼吸器を取り外している金城さん

※画像は沖縄県自立生活センター・イルカHPより引用

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