黒島公民館長の玉代勢肇さんは1950年生まれの66歳。黒島東筋に生れて黒島中学、八重山農林高校を卒業後本土大手スーパーに集団就職。10年後沖縄本島に移りスーパー・食肉加工会社などに合計30年近く勤務し、2005年黒島に帰郷した。2015年公民館長に就任。
●帰郷のきっかけと島の暮らし
両親が牛を養っていたので、セリのたびに応援にきていました。そんなとき、親父が牛に蹴られて石垣の病院に入院しました。自分は長男ですから、これはもう考えないといけないなと思って、それから半年後に仕事を辞めて、2005年に島に戻ってきました。現在家族は那覇にいますがいずれここに呼ぼうと思っています。嫁の親が100歳で、いまは世話をしないといけないですからね。しかし何か行事のたびに嫁や娘がやってきて手伝ってくれます。
現在、90歳になる父親の世話をしながら、24頭の牛を養っています。母親は石垣の施設に入っています。
朝、6時頃に起きて、親父の朝飯にパンとサラダとミルクを準備しておいて、自分は牧場に出る。まず牛の飲み水が足りているかを確認して、小屋の掃除、掃除が終わって餌あげ。餌は一気にやると飽きますから、1日に5、6回に分けてあげます。食べ残したものは子牛はもう食べないから、これは親牛にあげる。
10時ごろに家に帰ってきて朝食を摂り、洗濯をして、また牧場に行く。餌をあげて、時間があったら牛を観察して、12時前に戻ってくる。
昼は暑いときは、牛も一緒ですからね、牛も陰に入って寝ているし、こちらもゆっくり寝て、3時半から4時ごろまた牧場に出て行きます。また小屋の掃除をして奇麗にして、餌をあげて……。やろうと思えばいくらでもやることはあるけれど、前の晩に飲み過ぎた時は手を抜くときもありますよね(笑)。
作業は慣れれば大変ではないけど、生き物相手だから休むことができない。用事があって石垣に行くときなんか、最終便で行って、翌日はかならず朝の一便で帰ってきます。2泊3泊するときは他人にお願いしないといけない。それぞれやり方が違うから、そのやり方を教えないといけないし、また、牛も驚きますからね。自分は慣れているからいいけど、他人を見たら暴れる。自分でも違った格好、たとえば合羽を着て行ったりしたら牛はびっくりしますよ。
日が暮れる前に家に帰り、晩飯をつくる。
楽しみですか? 大好きな野球中継を観ながら晩酌をすることですね。BS放送は必ずどこかで中継やっていますから。…終わったらすぐ寝ます。
自然とのふれあいがあって、時間に余裕もあってこっちのほうが暮らしやすいですね。こっちは(時間を)自分で動かす。都会は時間で括られているという感じ。
今は昔と違って船便も多いし、石垣に出て買い物もできるし、不便さはあまり感じない。不便は牛を置いて長く島を離れられないことだけですね。
●昔の黒島と現在の黒島
自分らが小さいときとは違って、まず水が豊富にあるということですね。今は西表島から海底送水ができるようになった。
子どものときに、すごい干ばつがあって、黒島はたいへんな水不足。植物も枯れて、西表に水汲みに行きましたよ。家族・親戚単位で、船に1斗缶をたくさん積んで行って、仲間川の上流だったのでしょうかね、水を汲んで、島に帰ってみんなに配った。ついでに山羊の草も刈ってきた。
この島にはマラリアがなかったので、人口は昔から多かったんです。戦後すぐには2、3千人いたといいます。自分らが小さい頃には青年会活動などもすごかった。
しかし黒島は昔からずっと水に悩まされてきました。天水をいかに溜めて飲み水にするか、ですよ。どの家庭にもコンクリートの丸い水タンクがあった。ボーフラの浮いている水を飲んで、それでなんとか凌いだ。洗いものや風呂は塩分の多い井戸水をつかった。
台風よりも干ばつが怖かったですね。台風は水を運んできてくれますからね。
その大干ばつのあと、ここではもう農業はできないと、島を一人離れ二人離れしていきました。だから、西表島から水が引かれたときは島の人がいちばん喜んだ。
現在、住民は200人余り。80~90%が畜産ですね。残りは観光業。みんな知っている顔ぶれで、新しいのは転任してくる学校の先生くらい。
学校は今、一人も生徒がいない学年が2年と6年の2つ。でも今年は小学校の新入生が5人いましたよ。次代を継ぐ子どもたちがいないと島も活気がなくなりますからね。独身の若者が多いのだから、早く結婚してどんどん子どもを増やせばいいのにと思うけどね。
●それでもまだ水不足
飲み水には困らなくなったけど、いま、農業用水をなんとかしてくれと役場に要請しているところです。去年は牧草が足りていましたが、2、3年前の干ばつのときは、牧草を西表、石垣、小浜から買って、それでも足りないので宮古からも取り寄せたんですよ。
そのころから牛が高値で取引されるようになって助かったんですが、しかし牧草代がかさんで収支決算するとそれほど儲かってなかった。これで干ばつが2年も3年もつづくとどうなるか。
冬場は草は伸びませんから夏場にどれだけ牧草を確保できるかが問題なんです。放牧地はまだいいとして、採草地にスプリンクラーがあれば干ばつにも大丈夫ですからね。
黒島にはいまでも水の問題がついてまわります。
●いい牛をつくるために
いい素牛をつくるコツですか? まずいい雌牛(繁殖牛)を手に入れることですね。以前は自分らで雌牛を育てていたので素牛の値段がなかなか上がらなかったけど、今は血統のいい雌牛を買ってくるので質が向上しました。現在、鹿児島、宮崎、鳥取から約200頭の雌牛が黒島に入っていますね。そこにいい種を掛け合わせる。生産組合が年に何回か種の買い付けに行きますから今はいい種が手に入ります。
また、小さいときに病気をさせないことですね。もしも調子がおかしかったら、それを早く見つけて処置する。だから、よく牛を観察することが大事ですね。調子がおかしいときは動きが鈍くなります。自分のところは放牧ですが、そんな牛は小屋に入れて世話をする。下痢を早く見つけて獣医を呼んで薬を飲ませ注射を打って治す。小さいときにこじらすと大きくなりませんからね。
今では講習会なども多く開かれるようになって、青年たちがよく頑張って勉強して牛を育てて、県の共進会で黒島の牛が2連覇したし、セリ値も今は石垣よりも高値になりました。セリ値が石垣を抜いたときは、講師の先生がとても喜んでくれましたね。
牧草の質をいかに上げるかも大事なことといいますね。本来は穂が出る前の牧草がいちばんいいらしいんだけど、量が採れないので黒島では厳しいところ。スプリンクラーがあれば成長を早くして回転させて量を増やすことができるんですがね。それに狭い黒島では採草地を確保するのが難しいですからね。
ですから、もっと牛を増やすためにはどうしても牧草の問題、水の問題を解決しないといけないと思いますね。