4月20日午後2時から石垣市役所2階会議室で石垣市風景計画・都市計画景観地区変更原案への意見を市民から聞く公聴会が実施された。
風景計画の変更について6人が意見を述べ、川平地区の原案変更部分については10人が。冨崎観音堂地区の原案変更部分には、10人が意見を述べた。
今回の焦点は、川平地区住民や冨崎地区住民がどう考えているかの発表に注目が集まった。川平地区から糸数静雄氏と高嶺善伸氏が地元出身者であることを述べて、熱弁を振るい、冨崎観音堂地区では小沢正氏と内海良彦氏が移住者であることを示して、景観の大切さを訴えて、両地区の住民からきっぱりと変更原案に反対することを述べていた。
なお、居住している場所を述べない人や、居住域とは思えない場所から出席する意見発表者が、簡単な変更への賛成を告げるだけで、自身が意見をいう理由や、その関わりに触れず、あまりにあっさりと締めくくる単純な意見表明に、降壇後には不思議な沈黙が漂っていた。元来、変更による受益者は、意見を出さないもの。
説得の意志がない、取って付けたような理由を掲げての、目的不明な意見が数多くあったほか、建設業関係者の地域振興をいう意見が公然と出されるのは、業者のための景観計画変更が明確に示される公聴会となり、市民として公的な意識の欠如を、露呈させても考えであれば意見と言えるかに、低いレベルを印象づける驚きの公聴会となっていた。
また、石垣市の側の変更理由をそのままに述べる、いわば意見をいう必然性がない意見も表明されていた。
元来、学識経験者の最新研究が、ある種の説得力を持つ根拠として採用され、提示されるなりするもの。
時代に逆行する利益誘導の規制緩和に、アカデミズムも手を貸せないといったところか。
もしも発言者の数でその変更原案賛成を有利に導こうという意識が見える公聴会であれば、まさに考えられない事態が発生していると考えられる。民主主義への挑戦である。
多くの市民へ公正な市民意識に訴える場が公聴会であり、利益追求を露わにして、意見とする姿勢をかくも公聴会で記録することとなった。一部の変更により享受し得る関係者としか思えない意見が、公正な市政運営を願う市民への挑戦のように述べられる光景は、実に不思議で、唖然とするばかり。
会場内に流れた沈黙は、何を意味するのか。
高度な判断となる規制緩和であれば、特例として認めるものを細かなケースごとに設定し、規制を緩ませるものも複雑になってくるのが普通。一方、逆に反すれば罰則規定がより厳しくなる構造をつくるのが、物事の道理。
景観より地域振興などと、真逆に引き返すことを、公然と口にする姿勢は、あまりに短絡。根拠なしに、時代に逆行する術は、新興宗教でも持ち合わせないはず。それは、議論では無く、意見でも無い。気紛れな暴君の戯言だ。
元来、反対者も、より高度に意義ある形に、規制に見合う特権を用意する方向に、構造をつくる努力があっていい。条例制定後、安心して忘れていく姿勢は、手抜きである。
その手抜きが、知らぬ間に行政の勝手な取り組みを許す構造をもってしまったとすれば、報いとされてもしかたがないかも。
(流杉一行)