オヤケアカハチ慰霊祭

 4月22日午前10時から石垣市大浜の崎原公園にあるオヤケアカハチの碑の前でアカハチ慰霊祭がおこなわれた。

 旧暦の3月3日はオヤケアカハチが亡くなった日とされており、毎年この日、大浜公民館が同慰霊祭を開催している。

 オヤケアカハチは、八重山にあった群雄割拠時代に、大浜集落の英雄として地域に愛されている人物。

 大浜公民館では慰霊碑と銅像を建立してオヤケアカハチを通じて、地域活性へ結び付ける取り組みも実施してきた。

 コロナ禍で慰霊祭の開催は縮小して実施され、地域の小学生の参加も控えられてきた。また、コロナ前はアカハチ祭りを開催して、多彩な催しもので地域活性化を実現していたが、それもこの3年間は中止されてきた。
 
この日の慰霊祭は、3年ぶりに小学生や一般の参加も実現。賑わいある中での催しとなっていた。コロナ禍から開け始めているものの、アカハチ祭りは10月の地域文化祭でわずかに織り交ぜる予定とのこと。

 今回の慰霊祭では大浜婦人会小浜時子会長、大浜老人クラブ長寿会島仲勇会長、大浜青年会波照間忠弘会長、大浜獅子棒保存会田盛英伸会長といった地域活動に尽力する人々とともに、大浜小学校の6年生も20数人加わって、総勢約80人で、郷里の歴史上の人物を顕彰していた。

 冒頭、神司の祈願の後は、関係者の焼香がおこなわれ、そのあとは地域のオヤケアカハチに詳しい広田辰雄さんの講話が行われた。

 首里王府の重い税に対し、地域を守ろうとその徴収に応じず、最後は王府との戦に敗れたオヤケアカハチの講話を聴いて、集まった人は義憤で起こした勇気ある行為を讃えていた。

 今回は、広田さんの言葉から「誰もオヤケアカハチを見た者がいない」と、伝説に包まれて、謎が多い一面も紹介。500年以上前の史実の記録が少ないことに触れっつ、その解明をこれからの人に託しているかに、地域の偉人に関する逸話の継承にちて気持ちをもめて述べているかに見えた。

 会の最後は、皆で「アカハチ行進曲」を歌い、4年生や5年生の頃には、参加できなかった小学生らは、熱心に歌詞を見ながら歌っていた。

 児童会長の舟道翔風くん(小学校6年)は、「アカハチは地域の英雄で、皆もアカハチについて調べたりします。アカハチのようにたくましく、やさしくなりたいと思う」と地域の英雄への憧れを述べていた。

 波照間盛一大浜公民館長は、「コロナ禍が明け、子供たちも参加できたことで、講話も聴け、アカハチの遺徳を引き継いでいけると思う」「自分の考えをもって行動できる人に成長してほしい」と、子供たちへ講話を聴かせたことを喜んでいた。

 (流杉一行)

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