石垣島事件慰霊祭がに日米合同で開催

 4月15日午前11時から石垣市富崎の唐人墓に隣接する石碑の公園にある石垣島慰霊碑の前で、「石垣島米軍三飛行士 逝去者記念の式」と題する石垣島事件慰霊祭が開催された。

 2001年に石碑が建立されてから毎年開催されているこの石垣島事件慰霊祭は、1945年4月15日に起こった帝国海軍所属の石垣島海軍警備隊司令井上乙彦による米兵捕虜の虐殺事件で、亡くなった米軍3飛行士を慰霊するもので、建立以来識名信用氏が毎年慰霊祭を開催。今は志を引き継ぐ識名安信氏が継続している。

 今回は、2001年に除幕式を実施した時以来の日米合同の式典となり、第1開閉航空団司令官エリック・オースチン少将と米国領事館マシュー・ドルボ那覇領事、第7艦隊第1哨戒偵察飛行体ウィル・トラアソン司令官の3人のほか、第7艦隊音楽隊が参加。通訳やそのほか28人の米国側からの参加者とともに、慰霊祭がおこなわれた。

 この日は、日本側からは、いつもの識名氏やその関係者に石垣市議会議員の有志らが多数参加して、非戦の思いと、事件の風化をさせない思いを参加することで示していた。

 慰霊祭は、冒頭からヨシュア上原成和司祭による祈りが行われ、追悼の歌として国歌が音楽隊により演奏された。

 この日は豪雨が続き、テントへの吹き込む風雨と激しい雨音の下ながら、石碑の建立に尽力した篠原武夫琉球大学名誉教授も参加しての開催となり、22年前の建立時を思わせる重厚な開催となっていた。

 主催者挨拶では、識名安信実行委員長は、追悼の言葉を述べ、恒久平和のため、事件の風化をしてはいけないと、強い意志を示すなどしていた。

 このあと挨拶にたった篠原教授は、石碑建立のいきさつを述べたほか、建立当時に存命した親族から、建立により遺恨を払拭する機会になったことなども紹介していた。

 この日は、米国側からの少将、司令官、領事といった重鎮が参加。音楽隊も豪雨の中で演奏を披露するなど、慰霊祭に花を添えて、式典を華やかに飾っていた。

 来年からは、継続して日米合同での開催を企画しているとのこと。平和の慰霊祭が八重山で毎年日米合同でおこなわれる定番のものは、この慰霊祭が初となるだけに、平和のための取り組みの進化は、この時勢には大事なはず。

(流杉一行)

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