コロナ禍で慰霊の日 30人の参加者で平和を祈念

 6月23日午後3時からバンナ公園Aゾーンの八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑の前で、令和3年八重山戦争マラリア犠牲者追悼式が開催され、コロナ禍のため参加者を30人に絞っての静かな追悼式が行われた。

 戦後76年目を迎えた慰霊の日は、昨年に次いで今回も少人数に絞っての開催で、参加者は体温を測定し、体調を申告してコロナ罹患防止に万全を期して実施された。

 中山義隆石垣市長の式辞では、本来は多数の関係者と共に開催するところ、コロナ禍での開催で少人数の開催となったことをお詫びし、人類が今感染症の脅威に立ち向かい、乗り越えていかなければなりませんと述べていた。

 「沖縄戦末期、マラリア有病地帯への強制疎開を強いられた住民の多くが、感染症にかかり、適切な措置はおろか、十分な食料も得られないままに、家族が見守る中、尊い命を落とされました。平成9年、篠原武夫琉球大学名誉教授を中心とする遺族会らの長年の取り組みが実を結び、八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑が建立されました。建立にご尽力された関係者に改めて感謝の意を表します。年々ご遺族の高齢化が進む中、八重山戦争マラリア遺族会ならびに関係者による、講話や 読み聞かせなど、積極的になされ、平和学習の進展に多大な貢献をされていることに深甚なる敬意とお礼を申し上げる次第であります」と述べ、石垣市も戦争マラリアの歴史を正しく継承し、平和の尊さを子々孫々に伝えるために、慰霊と平和希求に取り組んでいくことを誓っていた。

 なお、戦争マラリアの語り部であり、この会場となっている八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑のデザインも手掛けた潮平正道氏が先ごろ他界したことに触れ、氏の功績に感謝し、その冥福にも触れていた。

 このあと八重山戦争マラリア遺族会の唐真盛充会長が追悼の言葉を述べ、

 「76年前の1945年太平洋戦争末期の4月、沖縄への米軍が沖縄への地上戦で20万余の住民の犠牲者がありました。八重山では配備されていた日本軍によりマラリアの蔓延する山間部へ6月10日に全住民の強制的に移動させられました。

 そして近年明らかになったことは、石垣島よりその2か月早く、移動を命令された波照間や黒島の住民には、それは米軍の上陸を理由にした、強制移動でありその目的は、住民が飼っていた数千頭の家畜すべてを軍本部の食糧とすることだったことが明らかになった。

 当時の軍の命令は絶対的なもので、住民は、移動先が悪性のマラリアの有病地帯であることを、皆それをよく知っておそれていた。命令に逆らえず、年より子供に多くの犠牲がありました。

 男性はほとんどが兵役に招集されており、私の父も本土に招集され、家族3人だけ残りました。

 私の兄は、強制移動のおよそ一か月後の7月17日に、前勢岳御北方ウガドウの避難小屋でわずか6歳で、マラリアの犠牲になり、母もマラリアに苦しみ、起き上がることもできず、我が子の埋葬にも立ち会えなかった。父や母に、母の悲しみはどれだけだったでしょうか。

 私は、兄が死んで7年後に生まれており、兄の記憶はありません。

 しかし、父や母から、兄の幼少時代のことを聞かされてきました。

 父は、死に目に会えなかったことを非常に悔やんでいました。

 わずか6歳で命を落としたことを、すまなかったと手記にのこしています。

 八重山では3600名余がマラリアの犠牲になりました。当時は、石垣島に日本軍の飛行場がありましたので。米英軍の空爆で、70名の八重山出身の戦死者と戦病死者がありました。
 
 それに比べると、住民の被害がいかに甚大であったか。

 しかも、軍にはキニーネを常備していたにもかかわらず。

 苦しむ住民にはまったくなかったのです。

 あの戦争マラリアで尊い命を落とされた3647名の御霊にご報告したいと思います。

 命を奪ったマラリアを憎むとともに、マラリア有病地への移動を強制した旧日本軍の行為は、八重山住民への犯罪だったと私は思っております。

 この事実を後世に伝えていくのが、我々遺族の使命であると思っています。

 76年前の、おろかな軍国体制、おろかな歴史を繰り返してはならないと心に誓います。

 と、述べていた。
 
当時の日本軍が起こした軍命による強制疎開を厳しく指摘して、歴史の事実を後世に受け継いでいかなければならないと、強く主張していた。

 この後、県知事の追悼の言葉が八重山事務所の曽根淳所長から代読された。

  8人の代表焼香がおこなわれたあとは、自由焼香となり、今回はしばらくの間、時間をおいて自由に焼香ができるように、配慮していた。これは今回初めての試みで、密を避け多くの人に焼香できるように実施された。

 この追悼式は1997年以降続いており、今年で24回目。

 八重山の人口3万1701人中、1万6884人がマラリアに罹患。人口の約53%が罹患したことになる。また、死者は3647人で、罹患者の内の21・6%が亡くなっている。

 この事実を、毎年、思い返して、平和の維持は、まず自国の中から、どうあるべきかを考えたい。

 1996年に3億円の慰藉事業が決まり、八重山平和祈念館建設と八重山戦争マラリア慰霊の碑が建立された。国も認めた過ちだが、自衛隊は、これをどう考えるか。聞いてみたい。
 
 この後、石垣市全戦没者追悼式並びに平和祈念式が開催された。

 場所は、八重守の塔。3時30分からの開催で、八重山戦争マラリア犠牲者追悼式がいかに早く終了したかがわかる開催だった。

 中学生と高校生による「平和を考える作文」の朗読が行われ、石垣市長による石垣市平和宣言が行われた。

 作文は、加原生彩輝さん(石垣第二中学校3年)の「平和な世界であるために」と、

 嘉那原夏乃さん(八重山高等学校2年)の「未来永劫の平和」が朗読された。

 コロナ禍にあって、いわば特別な緊急事態。国全体で対応策を練る意味では、戦時体制に少し近い。コロナ禍に平和を考えるのは、いつも以上に真剣みが出て、何か見えてくるかもしれない。

 (流杉一行)
 

この記事をシェアする