戦争時代の砲台跡で平和学習 大本小学校

 6月17日午前9時50分から石垣市立大本小学校が全校生徒6名を連れ、近くにある第2次大戦中の砲台跡で、平和学習を実施した。

 まもなく来る23日の慰霊の日が、どういう日であるのか。そして、地域の戦跡を巡ることで、戦争の悲惨さを学び、命の大切について考える機会にするのを目的としているもの。

 この日は、於茂登住民で小学校の警備の仕事に就く桑江良成さん(82)を講師に迎えて、記憶に残る砲台づくりの様子を、現場で語ってもらうために同行。地域住民も協力して参加し、また八重山平和祈念館の職員の田盛さんと井手さんもいっしょに現場へ足を踏み入れた。

 まず、同小学校のピロティーで集会を実施して、講師が紹介され後、於茂登山に司令部を設置していた旧日本軍が、その前に位置する於茂登前山に築いた砲台へ向けて出発。

 急こう配のパイン畑を通り、山の中を分け入って、急な坂道を足元に注意しながら約15分。

 山の雑木林をくぐった中に人工的につくられた石積の穴が現れた。

 大きな穴をのぞき込むと、中型のコウモリがいて、子供たちを喜ばせていた。

 桑江さんは、小学生にあがる前に見たこととして、「ものすごく大きな大砲、10mもある大砲を、ブルトーザのようなもので引き上げるのだけれど、兵士が丸太を前に置いて、転がしていったのを覚えています。結局、一度も使われなかったが、終戦後、鉄が高く売れるということで大砲はここから持ち出されていった。」と、語っていた。

 この後、もう一か所の砲台跡へ移動。

 そこでは、2つの穴があり、小さい方は弾薬庫ではなかったかと、説明を子供たちは聞いていた。中の様子は、しっかりしており、砲台の穴が側は崩れているのとは対照的だった模様。

 子どもたちは、戦争の爪痕が今も残ることを実感。どうしたら、戦争がなくなるかを思いついた言葉で、話すなど、戦争がおこれば深刻な事態なることを実感しているようだった。

 大本小学校6年生の佐々木あかりさんは、
「こんな近くに砲台の跡が残っているのを知って怖いと思った。山で最初に見た時には、時間がたっているのに、こんなにきれいに残っているとは思わなかった。」と、感想を述べていた。

(流杉一行)

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