55人で明和大津波遭難者慰霊祭開催 令和3年度

 4月24日午後2時から石垣市宮良のタフナー原にある明和の大津波遭難者慰霊之塔で、令和3年度明和大津波遭難者慰霊祭が開催された。

 コロナ禍のため、入場者は関係機関および、周辺自治公民館館長など招待客55名とともに開催され、当日、体温を特定し、体調のチェックを書き込んだ書類を提出しての参加となっていた。

 冒頭、表千家不白流沖縄県支部八重山による御供茶がお供えされた後、黙とうが捧げられた。

 その後、中山義隆石垣市長が祭壇に献花した後、式辞が慰霊の塔に向かって述べられた。

 突然襲った大津波で尊い命が一瞬にして奪われ、かろうじて生き残った人も深い悲しみに中で、忍び難い苦しみの日々を余儀なくされたとし、多くの犠牲者への哀悼の誠を捧げ、冥福を祈ることを述べていた。

 また、「本年は明和の大津波から250年、東日本大震災から10年の節目を迎えました。今、いつ起こるかわからない災害に対して思いを巡らし、平時の備えを怠ることなく進めていくことが重要です。」と、250年前の災害に、10年前に起こった東日本大震災を重ねて、防災意識を高めることの大切さを述べていた。

  加えて「現在、新型コロナウイルスが世界を席巻し、国内でもワクチン接種が開始されたものの、終息へは未だに予断を許さない状況です」と、今起こっているコロナ禍にも触れ、世界的なウイルス感染で人命が奪われる疫病に、自粛といった社会活動の停滞を余儀なくされる状況を重ねて、真剣に「防災・減災を心がけることは、私たちの課せられた使命」と、述べていた。

 このほか、石垣市開催の防災士養成講座で、76人の防災士が誕生したことを紹介し、市民へは「自分の命は自分で守る」というゆるぎない信念を持って、災害時の備えを今一度確認してほしいと述べていた。

 沖縄県知事玉城デニー氏の追悼の言葉が沖縄県八重山事務所長の曽根淳氏からおこなわれた後には、恒例の小中学生による作文朗読が、石垣市立宮良小学校6年生の宇根底師平くんと、石垣市立大浜中学校3年の嵩原綾花さんから、それぞれ献花の後、マイクの前で元気な声でおこなわれた。

 宇根底師平くんは、「人と人との協力で命を守る」と題する作文で、総合学習の時間に大津波について学んだことを紹介。「今を生きるぼくたちが学んだ知識を生かして、地域と協力して命の安全を守っていきたい」と結んでいた。

 石垣市立大浜中学校3年の嵩原綾花さんは、「今、私たちにできること」と題する作文を朗読。私たちの生活を支えてくれる自然が、私たちを傷つける刃にもなりうること。また、新型コロナウイルスにも触れ、感染者の増減を繰り返す中、今も何が打開策になるか見通せない状況から、新型コロナウイルスに対する感覚が鈍くなっているように感じると述べていた。突然の大津波で多くの人が亡くなったように、人は死と隣り合わせで生きていることを、普段から可能性として心に置いて行動したいと述べ、津波もコロナも自分のこととして受け入れることを提唱していた。

 このあと平良秀之石垣市議会議長を筆頭に15人の代表献花が行われた後、個々の参加者による献花がはじまり、2列になってひとりひとり白菊を供え、250年前の犠牲者へ思いを巡らして、冥福を祈っていた。

 昨年は、緊急事態宣言下でもあり、10人の参加者で同慰霊祭を実施。それまで毎年、代表献花の前に披露されてきた詩吟「慰霊の塔に寄す」は、コロナ禍による縮小開催のため歌われなかった。

 そして、今回、55名の招待者に詩吟の会の人々は加われず、今回も独特な節回しで吟じられる歌声は聞けなかった。
 

  (流杉一行)
 

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