縮小して尖閣列島戦時遭難死没者慰霊祭開催

 7月3日午後2時から石垣市舟蔵にある尖閣列島戦時遭難死没者慰霊の碑の前で、尖閣列島戦時遭難死没者慰霊祭が開催された。

 今回は、新型コロナウィルスの影響で開催規模を縮小。参加者を遺族会の役員に絞り、僧侶の読経と焼香だけのコンパクトな開催となった。

 この日、7人の役員と那覇から参加する遺族とその関係者や市民の5人の計12人が会場に入り、椅子などの設営に参加。

 桃林寺住職の小林昌道氏の読経がはじまると、一同は75年前の尖閣諸島海域で2隻の疎開船に起こった惨事で犠牲になった遭難死没者への思いをはせて、静かに朗々と響く読経の声に耳を澄ましていた。

 会場には、参加者のほかはマスコミ各社の記者がいるだけで、設営テントもなく、椅子を並べるだけの小規模な開催だが、この日も75年前に似た快晴で、澄み切った空が印象に残る慰霊祭となっていた。

 読経の後、焼香が行われると一人づつ、祭壇に向かって手を合わせて、碑に刻まれた死没者への無念な思いを慰めていた。

 焼香の後、遺族会会長の玻名城健雄氏は、「新型コロナのために、慰霊祭の開催をどうするかを役員で協議してきて、いろいろ意見がありましたが、役員だけでやろうと決めて、開催しました。」と述べていた。

 遺族関係者が年々、高齢で亡くなっていく中、一度でも開催を中止すると、その後の開催に影響するとも述べていた。

 この日は、家族ほぼ全員を失った生還者で、帰島後に再婚して家族を持った人の遺族が那覇から参加。慰霊祭には参加する旨の遺言を守って参加していることを明していた。

 慰霊碑に刻まれた人の遺族には、同様にほぼ家族ほぼ全員を失って、帰郷後に再婚し、家族を持ったことで、その遺族の家族が同遺族会にいるケースも、役員は明かすと、是非、その方と逢ってみたいと、会話が弾んでいた。

 沖縄戦の組織的な戦闘が集結した6月23日以降でも、疎開船が連合軍の攻撃を受け、一隻の船が沈没。もう一隻が投げ出された人を救うも機関故障から尖閣列島魚釣島に避難。

 そこでの集団での過酷な避難暮らしが続いた後、過度な飢餓に苦しみながらも、帰還のための応援を呼ぶため、連合軍の目をかいくぐる決死隊を編成して石垣島へ戻り、島からの救援に成功。

 遺族会が結成され、尖閣諸島魚釣島に慰霊碑を建立も、領土問題で慰霊祭が催せないことから、舟蔵に慰霊碑を建立。毎年、遺族会が慰霊祭を7月3日に開催している。

 遺族会は、「隣国との紛争になってほしくない」理由で、領土問題への政治的な関与を拒否し続け、平和への希求を第一に活動。遺族会が慰霊祭を自ら主催して、開催し続けている。

 犠牲者の人数や、生還者や死者の正確な数が不明なままに、その事件全貌はわからないままにある事件。

(流杉一行)

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