改築の名蔵御嶽で土地公祭

 9月15日午前11時から石垣市名蔵の名蔵御嶽で琉球華僑総会八重山分会(玉木茂治会長)による土地公祭が開催された。

 昭和11年に名蔵御嶽ではじまった日本に帰化した台湾出身者による土地公祭は、台湾で今も毎月旧暦の16日に実施される土地公祭と同じ流れのもので、天の神と地の神である土地公へ供物を捧げて、収穫を土地の神に感謝するとともに、家内安全、商売繁盛を願う日本の豊年祭に似た行事。豚を供物として捧げることから、地元では「豚祭り」とも言われ、台湾出身者が島で親睦を深める大切な祭となっている。

 この日は、台湾移住者の子孫やゆかりある台湾系住民のほか、学術研究に携わる大学教授や助教などのほか、八重山台湾親善交流協会の伊波努会長と石堂徳一事務局長らが、石垣市文化協会の会員らも賑わいに加わっていた。

 琉球華僑総会八重山分会は台湾出身者だけでなく、多くの市民・観光客も自由に土地公祭への参加を勧め、台湾文化の体験を促しており、地元八重山毎日新聞での誘いもあり、この日会場は約100名ほどの賑わいとなっていた。
 戦前から八重山で農業に従事する台湾出身者は、八重山に畑の動力源となる益獣の水牛を島にもたらしたほか、パイナップルを島にもたらすなど、島の産業に影響を与えている。八重山ではその貢献度を高く評価しており、6年前には「台湾農業者入植顕彰碑」が建立され、その栄誉を称え記している。

 琉球華僑総会八重山分会の玉木茂治会長の主催者挨拶ではじまった土地公祭は、八重山台湾親善交流協会の祝辞が行われたあと、焼香がはじまった。

福徳正神の前に供えられた供物を前に、福徳正神を預かる炉主の王滝志隆、玉木会長、そして供物を備えた人々、一般参加者の順に、天の神へ焼香しながら祈願。

そのあとは、地の神への祈願が行われて、線香の煙立ち込める中、参加者らは一年の無病息災と商売繁盛など、それぞれ思い思いの願いを込めて、手を合わせていた。

 舞台では、八重山民踊をはじめ、フォークや歌謡、民俗音楽など、多彩なステージが展開して、集まった人を楽しませていた。

 来年の炉主を決める神占いが行われ、今回の王滝氏とほか2人の計3人が、神の意志を伺う占いを実施。結局、次回も王滝さんに決まり、6年連続の炉主に選定されていた。

 土地公祭では、大量のお金である紙を焼く、沖縄のウチカビと似た風習があり、台湾出身者ばかりではなく、八重山台湾親善交流協会の一般参加者や、舞台に出演した人も、大勢であの世のお金を焼いて、神にお金を贈って、台湾文化に触れていた。

 この日、5年ぶりに参加した相模女子大の岡部芳広教授は、「前回よりも参加者が多く、舞台演目も多彩でした。私たちへの温かく接してくれる姿に、台湾の人々のコミュニティーの頼もしさを感じました。名蔵御嶽の改築に尽力するなど、地元の民謡のほかアフリカの音楽などの演奏され、台湾の文化だけを守るのではなく、いろんな民族文化も大切にしているのがうかがえた」と、述べていた。

 台湾人で麗澤大学外国語学部の邱助教は、土地公祭について八重山のものと台湾本国との違いに関心をもって来島。 はじめて見る八重山での土地公祭を見聞していた。

 邱助教は、台湾での土地公祭は、毎月旧暦16日に行われ、皆で供物を捧げて祈願しており、八重山では供物の様子を見ると、土地公祭だけでなく旧盆の行事に見られる供物も行われているという。

八重山では年に一度の行事となっていることから、いろんな行事を一緒にやるようになったとすれば、理解できると述べていた。

 豚の供物は台湾では無縁仏への旧暦7月の一か月間に実施されるもので、各家庭でのご先祖への供養が焼香の机に置かれたものと同じとのこと。

その後ろの大きなテーブルに盛られた供物こそ、台湾で見られる土地公祭の供物と同じとのこと。

 80年の歳月と、八重山での家内安全・商売繁盛を願う思いが、本国とは違う形に進化した模様。

 
(流杉一行)

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