9月3日午前10時から石垣市民会館展示ホールでヒロシマ原爆展が開催され、そのオープニングセレモニーがおこなわれ、中山義隆石垣市長と広島平和記念資料館副館長の諏訪良彦氏の挨拶の後、テープカットが行われ、15日までの原爆展の展示がオープンされた。
市制施行70周年を記念しての開催で、会場は原爆製造の最初のきっかけとなる1939年のマンハッタン計画から、広島に投下されたリトルボートと呼ばれた原爆の原寸大の写真、広島の投下前と投下後の写真、被爆した人々の遺品の数々、被爆直後の被爆した人々の写真、痛々しい火傷やケロイド写真など、戦争の悲惨さと原爆の威力のすさまじさと平和の大切さを展示ホール一杯に展開。
この日は、午後2時から被爆体験者の講話も行われ、被爆当時、旧制広島師範学校の生徒だった植田䂓子さんが被爆した当日の話がおこなわれた。当時の女学生の率直な気持ちを添えつつ体験談が語られた。学徒動員から印刷工場での就労の朝礼のときの被爆で、教師がたまたま日陰で朝礼をおこなったことで、ほとんどの生徒が無傷でいられたこと。その後、教師らとともに大勢で山に逃れて、植田さんは皆とはぐれることのみを恐れて行動したこと。周囲で見えるものに恐怖を感じなかったともいう。最後は山で解散となり、家に戻る途中に、伝言を大声で発する人の声に、親から自分へのものが聞け、親に遭えたことが語られていた。
(流杉一行)