寝ても覚めても頭を離れない、と具志堅正川原公民館長(55)は言う。平得大俣につくられようとしている自衛隊基地のことだ。
「これができたら、川原は天国に2番目に近い部落になりますよ。1キロも離れてないですから」と嘆く。
「これまでは農作業の暇ひまに島を出た子どものことなどを考えたりしていましたが、今はミサイル基地のことだけが頭にあって、これだけはぜったい子や孫のために配備してはならない、どうしたらいいかと毎日ストレスですよ」
●動き出した自衛隊配備計画
自衛隊の石垣島配備計画が一気に動き出したのは、昨年末12月26日に中山石垣市長が受け入れを表明してからである。以後これまで、主に次のような動きがあった。
12月30日、開南、於茂登、嵩田、川原の4公民館が記者会見。市長の受け入れ撤回と面会を要求。
5月17日、自衛隊「石垣駐屯地」施設配置案提示さる。
6月5日、開南、於茂登、嵩田、川原の4公民館が記者会見。「市長は議会で4地区住民と話し合った上に判断したいと答弁したが、謝罪した上で対話すべき」
6月11日、防衛省が住民説明会。
6月定例石垣市議会で、野党が提出した住民投票条例案を賛成7、反対13で否決。
さて、この間の動きを川原の側からみるとどうなるか。具志堅館長に聞いた。
昨年10月、公民館臨時総会で自衛隊配備反対を全会一致で決議。
「以前、新空港問題で牧中案がでた時に部落がふたつに割れたということがありました。それで、先輩方からこういう問題は慎重にやれよと釘をさされていましたが、これではいかんだろうと自衛隊反対の有志会というのができまして、それで臨時総会を開いたら全会一致で反対を決めました。開南・於茂登・嵩田にちょっと遅れましたが」
12月30日、4地区公民館記者会見。
「市長に見事に騙されましたよ。市長の受け入れ表明の前に、市長が話し合いをしたいと言っていると市から電話がありました。年末だし、来年1月の成人式の準備もあって忙しいのでそれを済まして1月の早いうちにやりましょうという話になりました。26日にまさかの市長の受け入れ表明でしょ。新聞の市長のコメントを読むと、話し合いに応じないのは4地区が引き延ばしているからだと。誤解されては困るので急きょ30日に記者会見を開いたわけです」
6月5日、4地区公民館記者会見。
「平得大俣案がでて、防衛省からも説明会をしたいという働きかけがありますが、まずは市長に話し合い引き延ばしの件の謝罪と、受け入れ撤回をやってもらってからだと言っています。市長は自分の手は汚さないで、防衛省に説明をさせようとしているんだと思いますよ」
石垣市議会で住民投票条例案否決。
「あのとき議会を傍聴していました。川原地域は、一人ひとりが意思表示する手段は住民投票しかないという意見でしたから、がっかりして市役所玄関の長椅子に座っていたら、市長が寄ってきて、私に、非公開で話し合いをやりませんか、というんですよ。非公開で? 馬鹿にするなと思いましたよ」
今後の取り組みについて。
「いま取り組んでいるのは、他の団体と協力して、予定地内の市有地・私有地を貸さない、売らない運動。それと署名運動ですね。9月議会に提出するために1万5千人の署名を目標にしています」
●川原地区のこと
戦前の沖縄県振興計画という八重山の移民計画によって開南(1938年)、川原(1941年)、南風見(大原、1941年)の集落ができた。
金城朝夫『ドキュメント八重山開拓移民』によると、
川原は、「大浜から当銘伸助、大城栄吉、宮良から嵩原宜佐、入口竹蔵、豊見城からは第一陣として、上原重秀、長嶺政徳、大城亀一、長嶺カメらが参加。八戸が入植のスタートをきった」
「戦後の食糧不足時代、八重山でも指折りの金持ちも出て、農家にとっては一時とはいえ繁栄もあったのは事実であり、また、八重山農家のリーダー的存在でもあった」という。
具志堅さんの両親は戦後に名護から川原に入植したという。
「農業には最高にいい土地だと思います」と具志堅さんは言う。
「干ばつになっても水が涸れることがまずないです。於茂登山が近くにありますから水が豊富で土地も肥えている。石垣島でいちばん雨が多い所だと思いますよ」
「サトウキビ、パイナップル、カボチャ、スイカ、ラン、畜産……。パイナップルは八重山一じゃないですか」
川原公民館の構成員は約60世帯160人だというが、そのうちの9割が農家じゃないかと具志堅館長。
「さいきん若者のUターンがとっても多い。本土から移住してきた若者も4世帯あるし、後継者が増えるのは嬉しいですね」
具志堅さんは、1961年(昭和36)に川原で生まれ、川原小学校、大浜中学校を卒業、八重農を2年で中退して沖縄本島へ。しかし高校卒業の資格を取るために八重山に戻り、商工高校定時制を卒業、再び沖縄へ渡って仕事をしていたが、父親の病気を機に35歳の時に一家で川原に戻って農業を継いだ。
「若いときは宜野湾の我如古に住んでいたんですよ。年中騒音に悩まされて、大変でした。それに比べると、ここは天国ですね。静かだし自然はあるし」
それなのに、と具志堅さんは言う。
「ここは優良農地ですよ。ただでさえ農地が不足しているのに、そこに自衛隊なんてけしからんですよ。爆薬も置いて、射撃訓練場もつくるというし、オスプレイも飛んでくるでしょうし、もちろん騒音もすごいでしょう」
●自衛隊は必要か
近くでなければ自衛隊はあってもいい?
「ぜんぜん必要ないですよ。あると逆にこの島が狙われますからね。いざというときには標的になりますよ。元自衛隊員であった人から聞いたんですが、自衛隊は住民を守る義務はないそうですよ。誰が私たちを守ってくれるのか、どこに逃げればいいのか、怖いですよ。日米の犠牲にはなりたくない」
自衛隊は抑止力になると言う人もいます。
「逆だと思いますよ。自衛隊を置くと、中国はもっと尖閣に来るようになると思いますよ。南西諸島に空白地帯をつくってはいけない、防波堤みたいに基地を置くべきだと言う人もいますが、いざ何かあって、こちらでドンパチやっている間に、日本もアメリカも準備ができますから、はっきり言ってこちらは捨て石ですよね」
「一旦何かあったときに基地があれば必ず戦争になるけど、基地がなければ戦争にはならない。もしも攻めてきたとしても、子どもや親の命を奪われるよりは捕虜の方がまだいいですよ。少なくとも命を失うことはない。百歩譲って、どうしても自衛隊が必要だというのなら、尖閣諸島につくればいいんですよ」
具志堅館長は、何か大きな動きがあると各戸を回ることにしているという。
「みんなの意見を聞いてまとめるのが公民館長としての僕の仕事ですからね。例えば、住民投票に関してどう考えていますかと一軒一軒意見を聞いて回りました。僕の感触では、少なくとも、平得大俣への自衛隊配備について、川原のほぼ100%の人が必要ないと言っていますね」
「こんなのどかな平和な島にですよ、しかも観光客も増えているし、若者も帰ってくるようになったし、畜産農家も右肩上がりに盛んだし……それらを台無しにするような自衛隊はいりませんよ」
この問題がおきて、何ひとついいことがないという。
「できるだけ考えないようにして寝よう寝ようと思うんですけど、やっぱり頭が冴えて眠れませんね。この問題のおかげでほんとにストレスですよ」