八重山戦争マラリア犠牲者追悼式 制限なしで約200人参加

 6月23日午後3時から石垣市のバンナ公園Aゾーンの八重山戦争マラリア犠牲者慰霊の碑の前で、八重山戦争マラリア犠牲者追悼式が開催された。

 コロナ禍から3年間、開催を制限下で実施してきたが、今回は4年ぶりに制限無しの開催となり、この日は約200人以上が会場に集い、戦争マラリアで犠牲となった人々を追悼した。

 中山義隆石垣市長による式辞の後、八重山戦争マラリア遺族会と沖縄県の代表2人から「追悼の言葉」が披露された。

 なかでも八重山戦争マラリア遺族会の唐眞盛充会長は、マラリア禍とともに軍部のとった行動が生んだ住民への被害について述べ、犠牲者へ悲惨な歴史を語り継ぐことを誓っていた。

 会長は、戦時下に軍部が行った行為について、その蛮行ぶりを述べ、波照間島ではマラリア有病地の西表島へ住民を強制疎開させ、島に残った家畜などは軍部の食料に回すなどし、西表に避難した波照間住民の3分の1がマラリアと栄養失調で亡くなる悲惨な状況を生み出したことを。

 八重山全体ではマラリア有病地帯への強制疎開で3674名が犠牲となったことを指摘。石垣島にある4つの滑走路への英米軍の空爆で170名余の住民犠牲者があったが、それにくらべればマラリアの住民犠牲者の数は、甚大でその悲惨さが想像できる。しかも軍本部にはマラリア特効薬を備えながらも、疎開先での住民への医療措置を全く行わなかったことを指摘。

 唐眞会長は、3674名の戦争マラリア犠牲者へ報告したいと改まった後、皆さまの命を奪ったマラリアを憎むとともに、旧日本軍の行為は八重山群民への犯罪行為だったと私は思うと述べ、この事実を後世に伝えることが、我々遺族の使命と思っているとして、この愚かな軍の行為を、歴史を繰り返してはならないと、心に誓います。としていた。

 このあと最近の動向に触れ、「昨今、台湾有事を理由に国民・県民に対し、不安をあおり、防衛能力の強化を理由に石垣島、与那国島の自衛隊基地攻撃能力もつミサイル配備予定など戦争前夜の様相を呈しています。かりに有事の際は、78年前と同様にプロパガンダ嘘の情報によって、住民を統治するでしょう。国民保護計画などまったく無理だと考えます。現在では軍事偵察衛星で空からすべての行動が逐一把握できます。79年前の学童疎開船対馬丸悲劇や78年前の尖閣戦時遭難事件の悲劇などを考えれば、抑止力増強ではなく、今こそ外交努力が求められます。」と、述べていた。

 この後、代表献花があり、追悼の歌と演奏が披露された。

  「八重山戦争マラリア犠牲者 鎮魂歌」のバリトン独唱を田本徹氏が、心がこもった鎮魂の歌声に荘厳さが感じられ、会場は静まり返った雰囲気の中、参加者は迫真の歌声を聞き入っていた。

  追悼の演奏では「てぃんさぐの花」がトランペット奏者の玉盛邦則さんの独奏と、中上香代子さんのピアノ伴奏で披露され、犠牲者への追悼の気持ちが周囲に響き渡っていた。
  閉会の後は参列者が焼香に立って、列をなして、おのおの哀悼の気持ちを示していた。

  (流杉一行)

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