復帰51年5・15平和行進および平和とくらしを守る八重山地区集会

 5月15日は沖縄が日本本土に復帰した日。
 この日の午後2時半から、5・15平和行進八重山地区実行委員会(波照間忠委員長)による復帰51年5・15平和行進が石垣市新栄公園をスタートして実施された。
 集まったのは約90人の市民で、そえぞれ所属する組合の旗を掲げる人や、家族で参加する人など様々。石垣市の人通りの多い市街地の行進コース約9・2キロを、歩き切っていた。
「ミサイル基地はいらない」「子や孫に平和な島を」「教え子を再び戦場へ送らないぞ」「カンムリワシ、命の水を守れ」「石垣島にミサイル基地はいらない」などの旗を掲げて、予定より多い、ほぼ4時間かけて行進した。
時折シュプレヒコールを叫びながら、「米軍基地を撤去せよ」「地位協定を改正しろ」と、平和を希求する思いを声に出して行進を続けていた。
 
 波照間忠実行委員長に話を聞くと「新栄公園をスタートにする平和行進は4年ぶりで、平和の思い持つ市民が誰でも参加できるように、子供たちも参加する雰囲気で開催しました。今後も10年、20年と継続していけるように、5月15日にこだわって、開催しました。」と、久々に開催できたことを喜んでいた。
 この日、参加した20代女性は、「はじめての参加です。新聞やTVで見て(5・15平和行進は)知っていましたが、今回参加して考えさせられました。皆さん関心が高く、車に乗る人や通行する人が拍手や激励してくれるので、皆さん気持ちがあるのがわかって、うれしかった」と述べていた。

 平和行進は予定時間を越えてしまい、集会は18時30分からはじまった。波照間忠実行委員長の主催者挨拶と次呂久成崇県議の激励のあいさつの後、復帰51年5・15八重山地区大会参加者大会宣言案が読み上げられた。

 宣言文は、軍事増強を深める事態を憂慮し、沖縄を日本を戦場にさせないことを誓うものとなっていた。
 なかでも安保3文書と呼ばれる「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」で5年間に43兆円の防衛費をつぎ込むことではじまる米軍と自衛隊の軍備増強は、そのものかつていわれた日本列島不沈空母の現実化だと強く糾弾。
 誰のための不沈空母かと考えると、日本は主権国家に見えず、米国の属国に見えると述べ、東アジアの人々と手を携えて戦争をさせない、戦場にさせない努力をしていきましょうと、呼びかける宣言文となっていた。

 最後は頑張ろう三唱で団結を誓っていた。

(流杉一行)

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