シンポジュウム2023八重山郡島の住民保護計画開催

 「周辺有事に備えて」という副題で、シンポジュウム2023「八重山郡島の住民保護計画」が2月18日午後2時からANAコンチネンタル石垣リゾート真栄里の間で開催され、300人の来場者で会場は溢れていた。

 今年5月に自衛隊基地が稼働するのを前に、八重山日報社主催で有事の際を想定した住民保護計画についてのシンポジュウムが企画されたもの。

 第一部では防衛省の元幕僚長の岩田清文氏を講師に、基調講演が実施され、「台湾・日本有事に備える」と題して、今、米中の覇権争いの渦中にある中、台湾と中国との関係に危機的な状況が、進んでいる様を、様々な米国の側の要人の発言を元に、事態を観測。いかに日本を守るかについて述べると共に、有事の際の協力を集まった聴衆に求めていた。

 具体的に、この極東の海域周辺における中国側とアメリカ側の軍事力の差を示すとともに、米国側を上回る戦力を保持する中国側の実態を示して、いかに南西諸島に対抗できる戦力を備えるかについて述べ、防衛省がこの危機的な状況をどうクリアするかに、10年来取り組んできたことを述べていた。

 有事の際は、八重山の上空で中国軍と台湾、米軍の戦闘機が飛び交うことになると述べ、八重山の住民避難に関する備えの必要性を述べていた。

 第2部では、シンポジュウムが開催され、八重山の3市町長と岩田氏がパネリストとして登壇。住民避難に関する意見交換が行われていた。

 岩田氏は、国の予算には、八重山でのシェルターに関する事項は出ていないことや、その必要性があることを触れつつ、実際の避難は、国が動く前に、早めに航空機で動くことが大事と説明。有事の際には台湾や中国に暮らす邦人の帰国から国の手立ては始まり、台湾に近い先島の対応はその後になること。また、自衛隊の船に乗っての避難はできないことや、自衛隊と避難住民がいっしょにいる場合は、ジュネーブ条約ではその避難民にかけられる被害は、問題にならないことになっていることなど、これまで知らされてこなかった内容を告げていた。

 いわば、軍隊の近くにいる避難住民は、殺されて当然という扱いになる。(この部分は、検証が必要かも)

 かくなる意味では、シェルターができても、一般避難民は兵士といっしょにいてはならず、八重山だけでも5万人以上の人がいることから、そのシェルターを完備させることは不可能と述べるなど、早期の避難をいかにするかが、問題と述べていた。

 中山義隆石垣市長は、県からは宮崎県を避難先とする案があることを披露。また八重山の5万人以上を移送するには、航空機一機120人と考えて、島への飛来は航空機はカラで来ることを考えて、素早く離陸できると考えれば一日の便数を多くでき、4日ぐらいで可能と目算していた。

 与那国町長の糸数氏は、与那国から住民を移送しても、台湾から避難する人が与那国に押し寄せれば、島はどうなるかを危惧。その方針を国に求めていく話もして、有事に起こってくる事態を、詳しく想定していた。
 竹富町長も、7つある各離島の港の整備の必要性を述べ、避難するためには、様々な準備が必要になることを痛感していた。
 
 パネルディスカッションでは、住民避難の具体的な話が出るかと思いきや、国ではこれから話し合われるということで、実際には早期に航空機で自主的に動くことを伝えるにとどまるのは、この会の主旨とは反れているように思えた。

 米国と中国の覇権争いに挟まれて、実際の米中は貿易関係が年々増加傾向で、覇権争いをしている2国とは思えない経済関係にある。台湾有事を打ち出す中国の姿を、米国が日本や米国国内に何度も唱えている実態を聞かされるばかりで、防衛省の中では、日本政府が独自に中国と米国との関係性や、実態に関する動向を、どうみなしているかに、まったく触れないまま、米国のいう話を鵜呑みにしている政府像を、このイベントでも強められた格好。

 実際は、どうなのか。軍備を試したい好戦派は、米にも中にも共に隠れているはずで、住民殺傷を何とも思わない冷酷な官僚が、GOをかけるにふさわしい状況をつくろうとする可能性も十分ある。

 日米開戦の前夜、真珠湾攻撃の前は、米国民は厭戦傾向が強かったことが言われている。

 多大な犠牲を強いられる戦争を、起こすことに力を注ぐ人があることを、忘れてはいけないはず。

 戦争は、結局一般住民を犠牲にする。であれば、犠牲を強いようとする勢力の姿勢に対し、民主国家の住民は、やはり自衛の意味で国内の好戦派を注視すべきである。そして、相手国の好戦派にも、注視すべきである。戦争で死ぬのは、両国の非武装の一般住民であり、撃つのは兵士。

 専制国家と民主国家の違いは、国民が個々に自由な状況の中で自主的に動き、自主的に連携し、自主的に協力し合えること。真の連携こそ、結実がある。服従による連携ほどもろいものはない。そこを構成できるように、協力を引き出せる形で物事を備えなければならないものを、隠蔽や住民自治を踏みにじるなど、不信感を引き出す行為は、慎まなければならない。反省すべき点を求めれば、反省するのが民主国家。

 第二次大戦は、日本国民の大多数が好戦派となっていた。日露戦争の戦果の不平から政治より軍隊を信じるようなおかしな方向に、国民がなってしまった。それを考えると、いろんな視点で考えられる国民であらねば、判断を誤るということ。

 有事が決定的になる前に、外交努力で避けえることに、どれだけ努力しているか。アメリカや欧米は、中国のアジア的感覚が分からない。中国も欧米が持つキリスト教を土台とする人権の意味が分からない。その神の前の自由と平等を歌い、人権を大事に思う感覚は、アジア人には理解しずらい。フィリピン・韓国などのクリスチャン系は、分かりえる。(日本でも、小中学生向けの「人権の花」の学習がある。その意味は誰もわからない。)

 香港でやった中国の覇権浸透は、どういう意味か。民主の活動の意味が国家反逆につながるのは、騒動は即国家威信を傷つけるという短絡な思考。平等も限定的な自由も国家が与えているという感覚。そこに、民への尊厳のかけらもない。逆らうものは敵でしかない。いわば、何かかが低い。

 日本は、日本が見る視点をしっかり持ち、中国と米国の間に入って、互いに誤解する部分があれば指摘できる仲介役を、できなければ米国からも中国からも、ただの従属国と見られかねない。経済従属国、軍事同盟従属国。

 この日、イベント来場者の声を聴くと、「いい話を聞いた」「知りたかったことが聴けた」「10年前から準備してきたとはびっくり。今の事態を読んでいたということ?」と喜ぶ人がいた一方で、「戦争はしたくない」「アメリカの物言いを信じるしかないからしょうがない」「アメリカの言いなりで絶望的だけど、随分前からそうだから」と、諦め気分の人の声もあった。
 
 米国は、世界で人気がない。なぜならばベトナム戦争介入、グレナダ侵攻、そして大量殺戮兵器保持の嫌疑でやったイラク侵攻は、その大量殺りく兵器は発見できず、全先進国を含む世界から信用を失った。

 イスラムの宗教指導者の暗殺を繰り返し、9・11を引き起こす原因をつくっている。しかも、その首謀者ウサマラビン・ラディンは、米国が支援したアフガンゲリラ。

 米国はキリスト教圏以外から危険国家と思われている。しかし、アメリカは要人を暗殺してもその事実を隠さない。侵攻の実態、実際の状況など、詳細な記録を残し、時間がたてば公開する。そこにキリスト教のピュアなものが見える。
 が、多宗教はその価値を認めない。悪いところもあるが、良いところは真似ができないぐらい驚かされる。


 
 (流杉一行)

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