10月23日午後4時から石垣市民会館大ホールで石垣市立八重山博物館開館50周年記念事業記念講演会が開催され、名桜大学大学院特任教授の波照間永吉氏による「『喜舎場永珣と資料』について―『調査ノート資料を中心に』―」が講演された。
喜舎場永珣は、「八重山研究の父」として知られる八重山郷土史家で、1885年7月15日生まれで没年は1972年4月2日と、復帰の直前に亡くなっている。
没後50年の節目にも当ることとなり、10月18日にちょうど八重山博物館開館50周年を迎えることから、この節目に喜舎場永旬の業績に触れるべく、10月24日から11月22日まで企画展「喜舎場永珣と資料」が八重山博物館で開催される。
同様に講演会が開催されるもので、この日、波照間永吉氏は、平成24年に喜舎場家から八重山博物館に寄贈された喜舎場永珣資料について、詳しく紹介された。
また、資料にとどまらず波照間氏は喜舎場永旬が、後々に沖縄県の教育者と名をなす神田精輝氏を輩出した話や、喜舎場永珣が八重山の歴史を研究するきっかけとなった伊波普猷との話なども紹介。伊波普猷から八重山民謡「鷲ぬ鳥」の原作者を探してほしいとの依頼を受けた喜舎場永珣が奔走して、大川の仲間サカイを見つけた話などを披露。
喜舎場永珣資料は、文書資料、証書・辞令書等、調査ノート、写真資料、音声資料、図書資料、新聞資料、スクラップ、その他に分類されることが紹介され、その中の調査ノートについて、波照間氏は詳しく解説していた。その数234点あり、その内のノートが215冊あり、ほとんどが大学ノートを使用。ノートの表題や作成年、雅号なども詳しく公表され、なかでもプロジェクターに映される喜舎場永珣の生の筆記された肉筆には、喜舎場永旬に関心ある人は、大いに引き寄せられていた。
波照間氏は、最後に喜舎場永珣ノートには、与那国・竹富から石垣の最北伊原間まで、八重山の100年前の様子が、喜舎場永旬がキャッチしたことが、事細かく書かれており、これを早く活字化してみんなが利用できるようにしなければならないと述べ、活字化の重要性を述べていた。
この講演は、24日から11月22日まで実施される企画展の動線になっており、その重要性を確認したいと思う郷土を愛する市民には、見逃せない企画展となった模様。
(流杉一行)