7月3日、石垣市舟蔵にある尖閣列島戦時遭難死没者慰霊之碑で、尖閣列島遭難事件で犠牲になった死没者を供養する尖閣列島戦時遭難死没者慰霊祭が開催された。
これは77年前の太平洋戦争時、1945年7月3日午後2時、石垣島からの台湾へ向かう疎開船2隻が米軍航空機の機銃掃射で1隻が炎上沈没。残る1隻は機銃による機関故障で漂流。沈没船の救出できた乗客らとともに、漂流した疎開船は尖閣列島の魚釣島に漂着。食料も底を尽き、そこでの凄惨な状況の中、元気な人で救援を呼ぶために石垣へ向かう船をつくり、8月12日に出航。14日に石垣島に到着。救援隊によって帰還できたが、機銃掃射や、沈没、島での栄養失調で、多くの犠牲者が出ている。この時、帰還を遂げた人も、栄養失調が原因で数日で亡くなる人も出ている。
尖閣列島魚釣島での戦争が引き起こした悲惨な事件を後世に伝え、犠牲者を慰霊し供養するとともに、二度と悲惨な犠牲者が出ないよう、恒久平和を目的として、事件当事者や遺族らが遺族会を結成して、慰霊祭を今日まで毎年実施している。
この日、小林昌道僧侶の読経の後、参加者は手を合わせて犠牲になった人々への供養をしていた。今回は、コロナ禍で3度目の慰霊祭で、昨年同様に役員が中心に縮小しての開催で、加えて遺族会長の玻名城健雄さんが体調不良のために、慰霊祭の後の総会を開催できず、役員会での決定を伝達することで、了承をお願いする形となった。
新役員は、以下の通り
会長 宮良芳明、副会長 宮良正之、事務局長 山根頼子、理事 崎山用一郎、監査 前野愛子、相談役 仲島直 石垣正子、(敬称略)
宮良芳明会長は、前任者の玻名城さんの取り組みを踏まえて、その労を生かせるように、運営していきたいと述べていた。
(流杉一行)