6月2日から八重山平和祈念館で実施されている「6月特別企画展『しまの戦争の記憶』~悲しみを乗り越えて~」(入場無料)へ足を運んでいる人は、6月19日時点で約400人。
八重山であった戦争の爪痕を、忠魂碑や慰霊碑の紹介で実相を伝えるとともに、登野城小学校の奉安殿や石垣島地方気象台の弾痕跡も紹介して、73年前の八重山におこける日本軍の駐留と、戦闘の実相を、地上戦があった沖縄島とは違う視点が見える形で展示している。
なかでも「証言 悲しみを乗り越えて」のコーナーには、マラリアで家族を失っていく証言記録の展示があり、読み進むほど戦争の実相が見えていた。
家族が次々に亡くなっていくという過酷な体験を記す記録を、常設展示にある当時の生活環境を踏まえて想像しながら読むと、その凄まじさは想像を絶するものがある。
今のように、便利な物資が揃っておらず、何をするにも人力で、人の協力の下で取り組まれた時代。上からのお達しに従うのは、協力することが大前提の社会であれば、自然のことだが、軍指導者が誤った判断をして、住民に不要な負荷をかけ、多くの人命を失っていった結果が歴然と示されている。
戦争の爪痕である戦跡を見聞きする上で、総体的に何があったかを、個々人が自分の間尺で考えなければ、平和の希求にはつながらない。どこかの組織や、誰かの考えの受け売りを叫んでも、意味はない。
抵抗の手段がない当時を考えれば、強制されて死地に赴いた兵士・住民のむごさは、限りない。
それを考えれば、現代における有事の際の想定は、指令する人でも誤った判断をする可能性も考えて、厳密に取り組む必要がある。
でなければ、また同じことが繰り返される。何度も足を運ぶ価値がある祈念館だ。
そして、何度も読まれる必要のある「証言 悲しみを乗り越えて」である。
(流杉一行)