2月15日。『八重山手帳』によると「セイロンベンケイ満開の頃」である。セイロンベンケイは石垣島気象台のホームページ「生物季節観測データ」には載っていない。が、かつてはセイロンベンケイも観測対象植物であった。
現在、気象台の観測対象植物はツバキ、リュウキュウコスミレ、ウメ、ヒカンザクラ、タイワンヤマツツジ、デイゴ、テッポウユリ、サルスベリ、ショウキズイセン、ススキの10種類であるが、大仲浩夫『八重山の自然歳時記』にはたくさんの植物が載っている。『八重山手帳』はそれに拠っている。
著者の大仲さんは気象台の元職員。以前に『八重山の気象と自然暦』を出しており『…自然歳時記』の「資料編」は『…気象と自然暦』を踏襲している。つまり大仲さんが気象台に勤務し『…気象と自然暦』を著したころは、もっと多くの観測対象植物があったのである。
植物に詳しい前津栄信先生は、植物の個体数が少なくなっていることを指摘する。
「開発によって個体数が少なくなっていますね。例えば私の畑のあるシーバルにはグラジオラスがいっぱいあったけど今は見えない。または土地改良のせいで土質がかわったのか、環境の変化か。学者の先生方に調べてもらわなければと思っています」
さて、セイロンベンケイである。
「昔はセイロンベンケイだけだったけど、最近はセイロンベンケイは見えなくなって、上部の方に花がいっぱいつくセイタカベンケイをよく見かける」と前津先生。「ほぼ同じ形だが、セイロンベンケイよりセイタカベンケイのほうの葉が大きく、花が密生して、花の色も濃い」と。
『沖縄大百科事典』には「ベンケイソウ科の多肉質の多年生草本。アフリカ原産といわれる帰化植物で、琉球全域の海岸近くの岩石地などに野生化する。(略)葉や根を消炎・解毒剤にする。生の葉をつきくだき、その液を腫れ物の吸い出し、止血に外用する」とある。
葉が英語で「幸福の葉」と呼ばれるのは、肉厚の葉を切り取って土の上に置いておくと新しい芽をだすからだろうと別の本は記す。そういえば、お土産屋で「幸福の葉」として売られていたのを見たことがある。
石垣方言でトーキィチィ、チョウチンナーパナ(『石垣方言辞典』)。竹富方言でウランダヒッサー(オランダ草)、チョウチンバナ(提灯花)(『竹富方言辞典』)。沖縄方言でソーシチグサ(葬式草)(『沖縄大百科事典』)という。新城島の方言ではソーシキパナ(葬式花)というのだと故野底宗吉さんに聞いたことがある。
セイロンベンケイといえば、小さい頃(もう半世紀以上前だが)の十六日祭のことを思い出す。
沖縄からの寄留民であった母方の祖父の持つ墓が、今の石垣市織物組合の50メートルほど北方(だったと思う)にあった。あのころの登野城の村はずれは、現在「あがろーざ大会」を開いているアコーギあたりだった。
祖父は一家の長男で、十六日祭には弟妹の家族たちもいっぱい集まったので、子どもたちにとっては十六日祭はとても楽しい行事だった。キダヌ実(イヌマキやコクタンの実)を競って食べた記憶があるが、果たして記憶は正しいか。
墓は粗末なヌーバカ(野墓=石垣の囲いの上にテーブルサンゴなどを乗っけただけの墓)だったが、古びた黒い石垣がいかにも墓らしく感じさせた。石垣の上のところどころに、小さな提灯をいくつもつけた30センチくらいの草が生えていた。
子どもたちは提灯花と言っていたのではなかったか。それがセイロンベンケイであったわけだが、子ども心に、それはまたいかにも墓の上に咲くのにふさわしい花であるような気がしていた。
(写真はいずれもセイタカベンケイ)