6月20日午後1時から石垣市伊野田の伊野田農村公園広場で第10回ゼロマラリア賞授与式が行われた。
忘れられがちだ場、今は観光に沸く八重山だが、昔はマラリア蔓延の土地。人々は、森林地帯には近づかず、人にとって自然はある種の危険地帯だった。それは、マラリア原虫を体内に持つハマダラ蚊が生息しており、人が刺されてマラリアに感染すると、ヤキーと呼ばれるマラリア感染症におかされる。
戦後、GHQによる徹底した防除により八重山はマラリア原虫を死滅。DDTを島中に撒かれたのは有名。
伊野田集落に限らず、計画移民、自由移民で八重山に入った人は、このマラリアに感染することで、かなり厳しい開拓生活を強いられている。
このマラリアが根絶された最後の村が伊野田村だった。いわば、日本国内でゼロマラリアを実現した場所だった。
このことから、昨年8月22日に同公園に建立された「八重山ゼロマラリア達成の碑」の取り組みが認められ、尽力した八重山ゼロマラリア達成の碑建立期成会(仲原清正会長)が受賞したもの。
この日、賞の主催者の特定NPO法人マラリア・ノーモア・ジャパンの神余隆博理事長の代理で出席した理事の長島美紀氏から、八重山ゼロマラリア達成の碑建立期成会の仲原清正会長へ、受賞の証となる記念の盾が贈られた。
このあと、石垣島出身の民謡歌手で、沖縄県無形文化財保持者の大工哲弘氏がマラリア撲滅の歌(作詞 石島英文、作曲 仲里長宣、編曲 嘉手刈聡)を披露。会場は、撲滅に力を尽くした先人の思いと実際を讃える歌詞に聞き入っていた。
会場には、伊野田に入植して、マラリアの厳しい暮らしを体験した仲村ユキ(88)さんも参加。授与式を見ながら、当時のマラリアの過酷な日々を回想していた。
入植してマラリアが蔓延した場所に最初は憤ったという。しかし、肥沃な土地でもあり、マラリアにかかる日も体験。当時は薬もなく、ただ水で冷やすだけでもましだったと、厳しい闘病生活や、共に生活を支えながら村を起こしてきた話をしていた。最後に、はやり肥沃な土地だったから、マラリアが根絶され、今は、本当に島に来てよかったと述べていた。
かつて石垣島北部地区での入植時代、原野を開墾して開拓の苦闘は忘れられがちでもある。
そんな昨今、マラリアの根絶にかかわった労苦もまた忘れられる傾向にあるが、八重山の気候からマラリア原虫が繁殖可能な場所でることがわかっている以上、それへ向けた対策は、永久に必要で、いつも八重山群民は頭から離してはならず、それを象徴するゼロマラリアの碑は、島にとっても、八重山全体にとってお大事なものといえそう。
(流杉一行)