多良間田に表示板設置

 4月6日午前10時石垣島北部の平久保半島突端の岩崎から南へ1キロから2キロ行った先にある田圃跡で、看板設置が行われた。

 これは、以前から多良間郷友会および関係者から看板設置について要望があり、この日、多良間郷友会の会長他、関係者13人が見守る中、看板が石垣市教育委員会文化財課の手で設置された。

 看板は、以前から設置積みの環境省の看板の下に張り出す格好で両面テープにより張り込まれた。看板の表記内容は「多良間田跡」のタイトルで、地図や昨年除草し調査したときの現場写真があり、「1752年に編纂された宮古島記事に伝承として記載があり、多良間の人々が平久保に通って米を作っていた時期はさらに古く遡る」とあり、「伐採すると今でも階段状となったテラス状の遺構をさ100m、幅40mの範囲に確認できます」、「周辺には多良間浜、多良間津口など多良間に関すると考えられる呼称」もみられると、詳細に記載されてある。

 この日、13人の多良間郷友会の関係者は、熱い想いで看板設置を見守った。祖先がこの石垣島に移り住んできたきっけが、多良間田であり、山のない多良間島から、山が有り水の豊富な石垣島へ米をつくるために、外洋の荒い波が隔てる海を渡ってこの地に通った場所。この歴史的な場所が、文化財課によって調査がはじまっていることを実感して、涙を流す人も出ていた。

(流杉一行)

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