石垣島の戦跡巡り

 6月16日午前8時45分から石垣市教育委員会が主催する「平成30年度戦跡めぐり」が開催され、この日参加する16名が石垣市役所玄関口に参集して、講師となる松島昭司さんが紹介されていた。

 一行はバスに便乗して、松島さんから八重山諸島での戦争について石垣島での話を中心に講話を聴きながら移動。

 元石垣空港近くにある「海軍南飛行場の日本軍格納庫(掩体壕)」をバスから降りて見学した。

 73年以上経過した同格納庫は、鬱蒼とした雑木林の中にあり、航空機を隠すために用意されたもので、爆撃を受けたあとが見られるとも。

 太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃時は八重山には日本軍はなく、ミッドウエー海戦の惨敗をきっかけに南洋の島々を占領しながら上がってくる連合軍の動きとともに、日本軍は第32軍を創設して、配備をはじめたことが説明されていた。

 一行は、バンナ公園展望台、字新川住民の避難地、崎枝の電信屋、底地ビーチを経て、川平湾の特攻艇秘匿壕を見学。生々しい戦跡を見ながら、配備のための危険でかつ過酷な労働が強いられた日々を想像していた。

 最終的には八重山への上陸作戦はなかったため、川平の震洋艇の出撃もなく、沖縄島のような地上戦はおきなかったことにもふれていた。

 さて、日本軍が起こるだろう戦闘を理由に、危険と重労働の配備に明け暮れ、住民避難場所がマラリア有病地であることを無視しての軍の誤った判断で、一般住民をマラリアで多数亡くしたのが七三年前の現実でもある。軍が生み出したともいえる、悲惨な八重山での戦争だ。

 戦争配備は恐れて備える行為ではあるが、恐れる前にやることが、たくさんあるはずで、配備を先行させることで、住民の自由な口を封じる手段になることが見て取れる。

 自衛隊基地建設とは無関係な戦跡めぐりだが、明らかに現在進行するものの影を、戦跡めぐりで再確認できる。そういう意味で、今年の慰霊の日がある6月は、特別な気持ちになる月となりそうだ。
 

 (流杉一行)
 

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