<日曜の朝に>仲新城理香古見公民館長に聞く

●古見の浦

古見は、西表島東部、前良(まいら)川と後良(しいら)川の間に位置する小さな集落である。しかし、かつてはスラ所(造船所)、紙漉き所などがあって、「15世紀の末期まで八重山の政治文化の中心地」(『沖縄大百科事典』)であった。アカマタ・クロマタ発祥の地ともされている。であれば、前良川、後良川という名称も中心地古見から見ての前の川、後ろの川という意味なのであろう。

「古見ノ浦ヌ八重岳 八重カサビ ミユスク イチィン 見ブシャバカリ……」
ではじまる「古見の浦節」は、古見の浦の景観の美しさを背景に、花のような乙女たちと役人をゆったりと歌う。八重山を代表するこの民謡は、役人大宜見長稔が古見に逗留したときにつくったとされる。

古見小学校の向かい側、壁に「古見の浦の里」と書かれた古見公民館に仲新城理香公民館長(45)を訪ね、古見の現在とこれからについて話をうかがった。
伝統ある古い村が、人口の減少に伴いその伝統文化をいかに継承していこうとしているか。

●この20年の古見

仲新城さんは石垣市大浜生まれ。大浜小学校から大浜中学校、八重山高校卒業後、四国の短大を出て沖縄本島で約2年仕事に就いたあと、1994年(平成6)に帰郷した。

20年前に臨時の養護教諭として古見小学校に赴任。1999年(平成11)に地元古見の人と結婚してずっと古見に住んでいる。「石垣よりももうこっちのほうが長くなりました」

「最初に来たとき、ふくろうの声、虫の音、風の音…自然の音しか聞こえない。ひとりポツンと居るような感じで、帰りたいと思ったけど、住んでいるうちに居心地がよくなった」

「車がなかったけどあんたどこに行っていた? とおじいおばあが温かいし、いつも見守ってもらっている、わたしの存在をわかってくれている、それが居心地よかった」

ところが、
「私が来た頃は、外に出歩いて顔を合わせるのが当たり前だったけど、今は村でなかなか人に会わなくなった。子どもが大きくなって私も散歩をしなくなったからかな。行事などの時は集まってくれますけどね」

現在の古見の人口は、26世帯63人。うち小中学生7人。
「移住者7に地元3くらいの割合じゃないかしら」
資料によると、1964年(昭和39)の古見の人口は234人(喜舎場永珣『八重山民謡誌』)、1978年(昭和53)は83人(美原・由布も含む。竹富町『町制三十年の歩み』)。
そのころは地元の人が大多数で、移住者はほとんどいなかったと思われる。

「公民館の規定としては、集落に入ってきたら会員になってもらうことになっています。会費を払ってもらって、活動に参加してもらう。嫌という方もいますが、しかしグランドゴルフなど何かをやるときはみんなに呼びかけるようにしています」

●伝統文化を継承する

伝統のある村。人口が減少して今は60人あまり。しかもその7割は他所からの移住者。公民館行事の大半は伝統行事。川満シェンシェーじゃないけど、「どうやるべき?」

伝統行事を継承するときには大きく言えば、
行事のやり方
地謡(歌や演奏)
舞踊など
を具体的に継承していくことになろうか。

地謡について
「大底朝要さんが元気なころは、朝要さんがいるからと頼りにしていたけど、亡くなられて、郷友会の新本さんや村のおじいたちが元気なうちになんとかしないとと非常に危機感を持っています」

「地謡なんて簡単にできないですよね。だから自分の息子たちにも、三線やってとお願いして、将来の地謡だよとおだてて、古見の浦節は古見の曲だから覚えないといけないよとか言っています。(島外に出て行っても)いずれ戻ってきてほしいですけどね」

踊りについて
「石垣生まれの私なんかもなかなか馴染まなかったのに、県外からの人が、聞き慣れない曲を覚えて踊りをやるのは難しいと思う。でもやりたいとみんな協力してくれています。おばあたちには、いやアレ違うよと言うところは言ってもらって、なんとか継承していきたいですね」

行事について。
「テレビなどを見ていると、昔のものを残そうと頑張っている人や地域がある。でもそういうところは人がいるんですよね。ここは人がいない」

「昔のようにはできないですよね。昔はこんなだったよと言われるけど、人数が少なくて完璧にはできないから、今できることをやっていこうと、話し合いながらやっています」

「先輩からすれば歯がゆいかもしれないけど、かといって長老たちがやるわけにはいかないので、あなたたちがいいようにやればいいさあとは言うけれど、たぶん、心では、こんなだったのになと思っているところもあるのかもしれない」

ツカサ(神司)がいなくなり、種子取祭などやらなくなった行事があり、簡略化した行事もあるが、一時途絶えていた行事を復活させたものもある。

十五夜祭りのときに昔は旗頭をあげていたが、それがいつからか無くなった。5年前、「先輩の仲本さん」が旗頭をつくってくれた。同時に綱引きも復活させた。

●現在の公民館活動

現在の公民館の年間行事は、
新年会(1月)
総会(3月か4月)
郷友会交流グラウンドゴルフ大会(5月か6月)
獅子まつり(旧盆送り日の翌日)
十五夜まつり(9月)
結願祭(9月か10月)
シツまつり(11月)
そのほかに春秋の大掃除などがある。

豊年祭のときは公民館は協力体制をとる。

「昔は農業が主だったので、農繁期が済めばこの時期にはこれをしてというのがあったのでしょうが、今はみんな仕事がバラバラだから、活動はやりにくくなっていますよね」

「郷友会も2世3世の時代になって、古見に住んだことのない人たちが増えてきていますから古見とのつながりがどんどん薄れて行くのは仕方ないですね。でも彼たちは親の姿を見て育っているので、たぶん協力してくれると思います」

人数が少ないこと、職業がバラバラでなかなか人が集まれない状況の中でも、仲新城さんは、古見を20年前のような「居心地のいい」場所にできればと考えている。

そのためには組織づくりと場所づくりが必要。
これまで別々に活動していた青年会を公民館の組織として組み入れることができたし、「公民館を、行事をするために集まり、話し合い、交流する場として十分に活用していきたい」と仲新城館長は言う。

館長の話を聞きながら、地域はただ住む場所ではなくそこには文化が必要であるということ、しかし昔とは状況が違うのだから、伝統の重みに押しつぶされないで賢い取捨選択をして「居心地のいい」場所にしてほしいと、改めて思った次第。

がんばれ!「古見の浦の里」の人たち。

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