<日曜の朝に>小林丙次開南自治公民館長に聞く

去る5月17日、自衛隊「石垣駐屯地」施設配置案が提示された。県道87号線を挟んで開南部落に隣接する。

説明会を開きたいと申し入れてきた防衛省に対して、6月6日、開南、於茂登、嵩田、川原4公民館は、説明会を拒否し、市長に自衛隊受け入れ表明を撤回した上で地域住民との直接対話を求める声明を発表した。

当日の会見で開南自治公民館の小林丙次館長は、「配置図案は集落の目の前。集落をつぶしにかかっている。怒りとあきれ以外の言葉がみつからない」と語気を強めた(八重山毎日新聞2017.06.06)。

小林丙次館長(55)に話を聞いた。

●自衛隊がやってくる

防衛省が地域に対して説明会を開きたいと言ってきました。我々としては、一回それに参加すると、もう説明会をやりましたからという既成事実を作り上げられるので、拒否しました。

いちばん近くの家は、2メートルくらいの農道を隔ててその向こうが自衛隊ですよ。また、基地から幅6メートルほどの県道を隔てて、そこはもう民家ですよ。自分たちの目の前に自衛隊が来たら、誰がそれを納得できるものですか。

平得大俣という報道があったときに、まずいよなあ、何百メートル先? と心配していたけど、それどころの話じゃないですよ。何百メートルだって恐ろしい話なのに、玄関の目の前が自衛隊ですよ。

私たちが怒っているのは、12月の議会で、市長は地域の声を聞きたいと言ったのに、ところがなぜ地域の声を聞かずに去年の12月26日に(自衛隊)受け入れ表明をしたのかということですよ。

たしかに調整に手こずったかも知れないけれども、12月の暮れも押し詰まってみんな忙しいのに、2日後に話し合いをと言われても、じゃあというわけにはいかないでしょう。於茂登や川原は1月4日に成人式を控えてその準備もあるでしょうし、じゃ年が明けてからやりましょうといっているときに、こっちが日延べしているみたいになって、向こう(市長)がスケジュール通りに、受け入れを発表したわけですよ。

12月にアポがとれないなら1月ではと調整もできようものの、もうすでに6月ですよ。それっきり何の打診もなく、それでこの配置図が出た。説明会、議会、国の予算……と、相手の不都合関係なく、自分たちのスケジュール通りにコトを進めている。しかも面倒なことは市長はすべて防衛省まかせですよ。

●これまでの経緯と部落の動き

平得大俣が候補地になった時点で2回ほど臨時総会を開いて、これにどう対するかを話し合いました。賛成の人もいましたから、最終的には多数決で公民館としては反対するとなったわけです(約3対1の割合)。

公民館で反対の決議をしたのですが、賛成の人もいるわけですから、白保の新空港問題の時のように部落を二分するようなことはしたくない。

それで、例えば「自衛隊配備断固反対」の看板を立てたときも、これに開南公民館の名前を入れず、看板を立てる費用も有志で負担しました。

しかし、配置図が明らかになり、4公民館で歩調を合わせていくには、看板にも公民館の名前を入れようという声がだんだん大きくなってきていますね。

子どもたちにはあんまりこういう話していないですし、学校にも持ち込まないようにしていますが、しかしこの先、だんだん子どもたちにも知れるでしょうし、とても心配です。

ちょっと大げさと言われるかもしれないですが、僕はもうほんとに開南部落の存亡がかかっていると思っています。石垣島の他のどの地域でも迷惑だけど、ここは迷惑という程度のレベルじゃないですよね。ほんとに目の前ですから。

弾薬庫が爆発したり、銃弾が民家に飛んできたりという事故のニュースが実際に国内外でありますが、ここは当たったら死ぬ距離ですよね。ここはなんといってもあまりに近すぎる。

軍用車両は行き来する、毎日迷彩服を見なきゃいけなくなる、そんなところにはやっぱり住みたくないなあと(住民は)減る一方でしょう。少なくともここに引っ越して来る人はいないですよ。

●自衛隊は必要か

自衛隊ですか? 地域にはいろんな考えの人がいますので、公民館長としてではなく、個人的な意見として聞いてほしいのですが、ここに自衛隊が来るということの意味は、過去から学ぶことができると思います。

地図を広げたら、ここが国境に面した最前線ということは誰でもわかる話で、琉球列島ぜんぶに基地をつくるということはもう、臨戦態勢ですよね。なぜ臨戦態勢にするの? もしも何かが起こったら、ここで済ませましょうという魂胆がまる見えじゃないですか。

本土を守るためにまた犠牲になってくださいというのは、これは70何年前に経験したことです。さらに考えれば、これはじつは日本を守るためだけじゃなくてアメリカを守るためでもあるわけです。

戦争なんてあっていいわけないですよね。しかし戦争で儲けている人たちが間違いなくいて、危ないよ中国が攻めてくるよ、武器装備したほうがいいよ、と言って武器を買わせるわけですよね。

百歩譲って、自衛隊はあってもいいでしょうとなっても、やっぱり自衛隊は、たとえば富士山あたりで演習していればいいわけで、前線へ持ってきてはいけません。それは標的になるだけです。

沖縄の歴史を見れば、(基地を)みんな放棄したいわけですよね。するべきですよね。今の国際情勢、これだけ、兵器も技術も発達しているのだから、ヘタなことはできないと思うんですよ。

石垣市は平和都市宣言をしています。私たち丸腰ですよ、丸腰の人をあなたたち攻めるんですかと堂々と言ってやればいいと思うんですよ。

基地は一度できたら半永久に存在してしまいます。次の世代に負の遺産を残さないようにしっかり考えるべきだと思います。

●開南部落に暮らして

農業をやりたい、海外でパパイヤやバナナの栽培を見ていたし、沖縄なら特殊性を売りにできるのではないかと思って、東京の全国新規就農支援センターの紹介で1992年に石垣島へ。

役所に行っても農協に行っても、良くも悪くも、のんびりしていて、ここで一大事業を起こしてやろうなどという意気込みは全然ないですから、このペースで暮らしていくのは悪くはないなとは思いましたね。

ランの栽培農家で1年半住み込みで働いて、自分としては熱帯果樹の技術を身に着けたいと思っていましたから、その後結婚して、於茂登に土地を借りることができたので磯辺から通っていたんですが、開南団地ができたので入居しました。もう16年になりますか。

集落としては小ぢんまりしていて(『統計いしがき』によると2015年12月31日現在、35世帯90人、うち男46・女44)、7、8割が農家。大概この周辺に土地をもっていて、私はマンゴーをつくっていますが、ほとんどがパインとキビ栽培ですね。

主な行事として豊年祭(今年は8月の第1土曜日に予定)があります。みんなで集まってグランドゴルフをやって夕方には宴会をやる。他の地域のように決まった御嶽での伝統行事ではなく、懇親会のようなものですね。

島の真ん中にあって見晴らしはいいし、静かだし、のどかで、束縛もほとんどなくて、みんな協力的ですし、とても暮らしやすいですね。

この間ずっと公民館をつくることが念願だったんです。11年前に公民館をつくってくれと議会に請願、認められたのですが、土地がない。それで土地を買うための資金造成で、公民館でキビをつくって積み立てをしてきました。

ところが、団地の隣りの家の人から、沖縄本島に引っ越しするので建物を公民館として使ってくれないかと寄贈の申し出があり、ありがたく頂戴しました。今、壁を取り払ったり、改装しているところです。

新しい公民館を建てなくても、これを直せばいいじゃないか、と。そこが開南の人たちのいいところだと思うんですよね。謙虚で、身の丈でものごとを考える。

*開南のミニ歴史
昭和13年、沖縄県振興計画にもとづき、平得を中心に17戸が入植して開南部落創設。畑2町歩、屋敷140坪、資金500円余りで入植。しかしマラリアのために5,6戸を残してほとんどが平得に引き揚げた。そのあと沖縄本島から二次移民で約12戸が入植。その後5戸が残り、入れ替えなどがあり、1985年ごろには10戸となった。(金城朝夫『ドキュメント開拓移民』)

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