新川の南ヌ島カンター棒 6年ぶり 獅子舞も披露

 8月30日は旧盆送りの日。この日、新川の東嵩西美寛(72)さん宅で獅子祭りとともに滅多に見られない南ヌ島カンター棒の披露がその祭りの前に行われた。
 新川では旧盆送りの日に新築の家で獅子祭りが行われる。この日は東嵩西家のリフォームながら隣接するコンクリ建てと木造の2軒をいっしょに実施して、新築より費用がかかったリフォーム祝い。 
 息子の東嵩西典一さん(38)は、木造の方は築110年で時間をかけて伝統の工法を生かしてリフォームしたことを述べていた。瓦を取ると中に竹が敷かれてあり、そのしっかりした保存状態に感動したと述べていた。
 この日は獅子祭りの前に、午後2時から石垣市の指定文化財「南ぬ島カンター棒」が東嵩西宅前で披露された。うわさを聞きつけて集まった多くの字民が、何が始まるか期待する眼差しの元、会ははじまった。
 冒頭、挨拶に立ったのは、南の島のカンター棒を長年伝承してきた唐真家の唐真盛充さんで、「この舞は、唐真家の元祖ゲッテイが、観音崎で難破船を助けたお礼に、船員から盆踊りを披露された。ゲッテイはその舞を教わり、それが唐真家に代々伝承されているもの」と解説。1757年に字石垣から新川が分離して村になった時に、この芸能は新川村の芸能として保存・継承されることになり、今に至っているとのこと。
 挨拶の後、背にパンの木の葉を模した飾りをつけたジカタの音曲に合わせて、同じ飾りの背に赤い頭の舞う人8人が登場。長い棒を操って、ゆったりとした舞を披露していた。
 集まったギャラリーはスマホを出してしきりに撮影して、めったに見られない舞を記録していた。
 舞の終盤は、新川の獅子が登場。獅子祭りで新築の家に獅子頭が飾られることはあっても、躍動する獅子はなかなか見られない。頭が大きく、歩き方も独自で躍動感あふれる舞がおこなわれて、子どもを噛ませると健康に生育するといわれることもあり、親が率先して子供を獅子に噛ませようとする定番の光景もこの日見られた。
 大泣きする子供も出て、元気よく泣く子供の声は獅子舞につきもの。会場は大いに盛り上がっていた。
 ギャラリーが帰った後、東嵩西家では獅子祭りが行われ、2つの獅子頭を床の間に飾り、塩で清めて御神酒を回すなどして 無病息災を祈願していた。

 なお、新川の南ヌカンター棒は、平成2年11月13日に石垣市指定の有形民俗文化財になっている。背にある葉の模造はパンの木の葉だとのこと。唐真氏は西洋人に雇われたアジアの船員が、船の修理中の長逗留の間、教えたのではないかと推察。

 記者はパンの木をミクロネシアで見たことのあり、バンナ公園のCゾーンにも植えられているのを知っている。この縁でバンナ公園にパンの木を植えたのかと思うと、なるほどと感じ入った次第。

 ミクロネシアでは、直径30センチほどの巨大な実を、オーブンで焼いて食べていた。昔は、この実がたくさんなっているために、島民は労働をしないと、腹を立てたスペインの占領者が、木を次々に焼き払ってしまった。これに怒った島人が暴動を起こしたことが歴史に残っている。南の島では、大自然の恵みの象徴でもあるパンの木なのだ。
 教えたのはニューギニア、フィリピン、マルク諸島、ミクロネシアあるいはポリネシアの出身者か。確かミクロネシアのヤップには棒をつかった踊りがあったはず。頭は赤くなかったが・・・。


 (流杉一行)

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