7月23日から石垣島では崎枝、川平、伊原間、平久保と、豊年祭がはじまっている。
川平では、群星御嶽、山川御嶽、赤色目宮鳥御嶽、浜崎御嶽の4つの御嶽で豊年祭が行われる。
川平集落の消防団前のロータリに隣接する赤色目宮鳥御嶽では、氏子らが持ち寄る供物を供えて、今年の五穀豊穣への感謝と来夏世の豊作を祈願する豊年祭が4年ぶりに行われた。
元来コロナ前では、石垣島では川平の豊年祭がいつも最初になることが多く、豊年祭シーズンの到来を告げる性格もあった。今年の川平での開催は20日過ぎになって、遅い開催だが、不思議にほかの豊年祭も全体に遅めになっているため、到来を告げる豊年祭となっている。
御嶽の会場は久しぶりの賑わいで、集まった関係者の表情には安堵の様子が見られ、観光客や地元民も御嶽に集まって、会場を見守っていた。
この赤色目宮鳥御嶽の豊年祭は、びっちゅる石と呼ばれる大きな石を持ち上げて練り歩く、力自慢・腕比べの余興があり、それを見ようと多くの人が集まることで、知られている。この日も、どこからともなく多くの人が集まり、御嶽は大いに賑わっていた。
このびっちゅる石に関しては、コロナ禍による3年のブランクだけでなく、川平では2019年に豊年祭の当日、びっちゅる石が始まるちょうどその時間帯に大雨に見舞われ、急遽中止となっている。当時は初めてのことで、大いに話題になったもの。
今思えば、これまでにないことが、あれから連続して続いたことになる。
この日、午後2時半すぎから境内で役員が並んで、境内での行事がスタート。3時半前に、祈願を終えた神司が境内に現れると、さっそく神酒を交わすなど、豊年祭行事が始動。役員らの挨拶がおこなわれたあと、余興となるびっちゅる石の奉納がはじまった。
この日は、びっちゅる石を管理するびっちゅる石の願い人が、35年続けてきた大屋広男(70)さんの口から、大屋実之(38)さんに受け継がれたことが告げられていた。
大屋実之さんは高校1年生の時からびっちゅる石を担いでいて、今年で22年目。
「広男さんから、自身が元気なうちに引き継ぎをしたいと告げられ、今年からやることになりました。よろしくお願いします」と、新しい願い人の実之さんが挨拶をしていた。
このあと、大屋広男さんからアドバイスを受けつつ、大屋実之さんは願い人の行事を実施。この日は、5人が担いで、会場を大いに沸かせていた。
川平の赤色目宮鳥御嶽の豊年祭が終わると、そのタイミングで群星御嶽と山川御嶽の旗頭がちょうど赤色目宮鳥御嶽の前に集結して、旗頭をあげるのだが、この日はなぜかなかなか現れない。長い時間待った後に登場して、終了したのが午後5時50分。
どうして到着が遅くなったか聞いてみれば、久しぶりの旗頭の奉納がうれしくて、担ぎ手が次々に担ぐために、終わらなくて・・・とのこと。
この傾向は、3年間旗頭奉納がなかった御嶽で、共通して起こる現象となるかも。
(流杉一行)
なお、波照間島、与那国島・祖納ではすでに済んでおり、25日には西表島祖納干立舟浮でムラプール、平得真栄里のムラプールは29日、大浜のムラプールは30日、8月3日は竹富島ムラプール、8月4日は四か字豊年祭ムラプール、8月13日は白保ムラプールと黒島プール(船漕ぎ)が行なわれる。
久方ぶりのムラプールに、これから八重山は大いに盛り上がる模様。