登野城結願祭 字民総動員で祭り盛り上げる

 10月16日、登野城字民の無病息災と12年間の来夏世の豊作祈願をし、12年分の諸祭祀の願い解きをする登野城結願祭が行われた。午前7時から、6つある旗頭の内、4つが天川御嶽に設置された。

この時点では雨はなく、4つの旗頭が天川御嶽に立てたれると、これからはじまる祭り賑わいが想像され、自然に足が向いて集まった人の様子から、祭りへの期待が高まっているのが感じられた。

 午前10時には集合場所にパラパラ雨が始まり、やがて本格的な降雨となりはじめていた。

 そのまま午前11時からは、道すない(結願祭行列)が行われ、2つの旗頭を先頭に、イリク太鼓、ミルクガナシ一行が続いて、登野城小学校、八島小学校、ハーリー東二組婦人部、登野城青年会、石垣第二中学校郷土芸能部、八重山高校郷土芸能部、胡蝶の舞を披露する登野城婦人会、木遣りの演者と、長い演者らのパレードが登野城地区の結願祭コースを行進した。

 当初は11時30分出発だったが、降雨の激しさから予定より早めに出発を実施。随所で演舞を披露する予定も、降雨の激しさから短縮しての道すないとなった。運営する委員らには、通行規制もあり、時間内に進めるためには厳しい判断が迫られるところ。

 一方、沿道には多くの登野城字民が12年に一度しか見られない道すないを是非記録に残そうと、スマホで撮影する人が続出。また、子どもに見せようと、降雨の中、傘をさして待ち受ける家族連れなど多数が現れ、登野城界隈は意外な賑わいを、10月の雨の中で見せていた。

 途中、ミルクガナシの行事を、ベトナムの安南から持ち帰った人物・大浜用倫ゆかりの地で、道すない一行は拝礼して、感謝の気持ちを示していた。

 そのまま一行は、午後1時頃には天川御嶽に到着。待ち受ける観衆も多く、そこに旗頭・イリク太鼓と奉納が続き、ミルクガナシの到着で、会場は最高潮に盛り上がっていた。

 このあと、登野城小学校の旗頭から始まる演目を展開。八島小学校、石垣第二中学校芸能部と、ほぼ道すないをした順に庭での奉納が展開していた。

 庭での奉納芸能が終わったあとは、祝宴に入り、16の演目が行われた。舞台は赤馬節からはじまり、石垣市の指定文化財「大胴、小胴(ウードゥ・クードゥ)」や町内会からの演目が披露され、迫力溢れる棒術や獅子舞も会場を沸かせて、万歳三唱で最高潮となっていた。

 石垣島最大の人口を誇る字登野城での12年に一度の結願祭は、字民の総力を挙げた取り組みとなった模様で、その効果も絶大。道すないの500人を越す参加者に加えて、沿道に出てきた字民の多さは、運営する側も「もう12年先まで寿命がないと心配する人が多いのかな」と、驚くほどものだった。

 沿道にいた12年前を知る人は「これは、12年前に比べると6倍はいますね。こんなにたくさんの人が、雨の日にもかかわらず出てくるのは、これまでの自粛のせいもあるんでしょうね」という声自身も弾んで聞こえた。

 コロナ禍に、12年に一度となれば大掛かりで、かつ12年前のものの継承となれば難しい祭りになる。加えて悪天候の兆しという3重苦4重苦の中、進め切って見せた登野城字民字会関係者の心意気は、特筆に値する。日本どころか世界中が分断だらけだけに、・・・。
 

 (流杉一行)

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