八重山では7月下旬の豊年祭が、石垣島・川平や崎枝、伊原間、平久保とはじまり、西表島祖納・干立、舟浮と続いて、27日から平得・真栄里と来て、29日からオンプールが大浜で行われた。
7月30日は大浜のムラプールで、農業の盛んだった旧大浜町の役場があった集落だけに大いに盛り上がっていた。
カースンヤーの浜での、福を招くユークイのポーズで歌われる東節(アガリブシ)から始まる儀式が特長の大浜豊年祭は、夕刻には字民が集い、オーセ御嶽の前でも海に向かってユークイが行なわれ、4年ぶりの豊年祭の開催を字民は実感していた。
式典では、波照間盛一公民館長が「大浜村では公民館憲章にある『知恵を出し、汗を流し、心を合わせて住んでよかった大浜村』を目標に掲げて、公民館、老人会、婦人会、青年会とともに伝統文化、伝統芸能継承にまい進していく」と述べていた。
この後、9基の旗頭が一斉に奉納される「旗頭の舞」がおこなわれ、会場は熱気に包まれた。そして22団体約830人が次々にオーセ御嶽の前で、今年の五穀豊穣と無病息災を感謝し、来夏世の豊穣を祈願して、奉納芸能を披露。集まったギャラリーは、行列に参加する人々に向け、声援や拍手で応えて、会場を盛り上げていた。
途中、東の空に虹が出るなどして、ギャラリーは夕暮れながらもまだ青い大空にかかる虹にも見とれるなどして、5年ぶりに再開できた豊年祭を楽しんでいた。
日も没するとツナノミンが行なわれ、松明だけの照明の中、鎌を持った武者と槍の武者の台上の勇壮な戦いを見せた後、大綱引きが行われた。
上の村の67mの綱に、下の村の63mの綱が結ばれて、一気にはじまった大綱引きは、13秒後に下の村の綱が切れ、上の村の勝利となっていた。
綱が切れて、怪我人が出ていないか確認する関係者が、子どもが一人、倒れているのを発見し、救急処置の資格ある関係者が名乗り出て、すぐさま担架で搬送する事態ともなっていた。その場には親がいない模様で、大綱引きに危険な場面もあることは、知られているはず。子供を親がそばにいないままに、大綱引きに参加するケースは、問題があるかも。
4年ぶりともなれば、想定できる危険な事態が、ひとりひとりの頭から離れている場合もある。毎年であれば、誰かが先に察知して動くものを、4年ぶりともなれば、開催の喜びで「ゆるみ」が心配になるかも。
これから、八重山最大級の四か字豊年祭もある。黒島の海での豊年祭もあり、4年ぶりで練られていない空白時間は、気にした方がいいかも。
(流杉一行)