8月5日午後3時半から石垣島最大規模といえる伝統行事の四ヵ字豊年祭が石垣市新川の真乙姥御嶽で行われ、新川・大川・石垣・登野城の四つの字(あざ)にある御嶽の氏子や字会や公民館役員をはじめ市民・観光客が集まった。今年の五穀豊穣に感謝し来夏世の豊作を祈願する豊年祭は、石垣島の中心市街地である四つの字にある各御嶽で昨日四日にすでに祈願が終わり、この日は真乙姥御嶽の神へ奉納を捧げるために、旗頭を先頭に集結して次々に奉納芸能を見せていくもので、JAや石垣島製糖、石垣市役所、県立八重山農林高校や市立石垣中学校、東京八重山郷友会など、農業関係やゆかりある団体も加わって、奉納する一大絵巻を見せるもの。炎天下の中で続々各地の御嶽から、この日の会場である真乙姥御嶽に旗頭を先頭に集結。各地を象徴する旗頭が並ぶ光景は壮観で、加えて1500年頃から続く伝統行事となれば、見物人も島人だけでなく観光客も集まってくることで、最大級の豊年祭となる。
この日も、奉納を見ようと会場は多くの人で溢れ、種子の授け式を終えるとメインの儀式であるアヒャーマ綱(アヒャー綱とも言われる)が行われた。アヒャーマは貴婦人を意味するもので、この地での豊年祭の発祥にかかわる大事な儀式。1500年頃にあったオヤケアカハチ乱の平定後、沖縄本島と石垣島を行き来する船の安全祈願をする真乙姥が、無事帰還できれば女ながら綱引きをしてみせると神に誓ったことに発する。無事な帰還を果たしたことから、毎年、真乙姥は綱引きをして見せるようになり、それが受け継がれて今日の四ヵ字の各御嶽から真乙姥御嶽に集結して実施される豊年祭となったとのこと。
この日は、神司から綱引きで使う雄綱と雌綱をつなぐ棒を受け取るブルピトゥに仲塘アヤ子さんが抜擢され、役を果たしていた。ブルピトゥが棒を受け取ると同時に、各御嶽から集まった大人数の婦人らが大きなかけ声をあげ、ガーリーを舞う喧噪の中、この日の終盤に行われる大綱引きの綱に棒を通したあと、いっそう盛り上がる騒ぎの下、ブルピトゥ自身が5人の女性に担がれて御嶽の前で一回りする儀式が行われた。女性だけで行われる綱引きとされ、神への約束をいまだにつないでいることになる。
この儀式で真乙姥御嶽での伝統行事は終わり、この後は昔の新川の番所(役所)があった場所に綱と旗頭が移動して、今度は日没後に松明の下で2人の武者によるツナノミンと大綱引きが行われた。これに集まる人が今年も増えて、子供や孫に見せたいという家族連れで会場は大いに賑わい、今年も豊年祭は最高潮に盛り上がった。
最後の大綱引きでは、勝敗が決まらず、例年、あっという間に西側に凱歌が上がってきたが、今年は東が譲らず、最後は引き分けの判定。この後、東西が汗だくで引き合った綱は縁起がよいされ、来年のしめ縄に使う人もあるほど。その一部を外して持ち帰る人が綱に集まっていた。
(流杉一行)