石垣島事件米軍飛行士慰霊式 冨崎

 4月15日は、石垣島事件の日。この日、午後2時半から石垣市冨崎の唐人墓南の米軍飛行士慰霊碑の前で、米軍飛行士慰霊式が開催された。

 ルシア並里輝枝牧師による祈りが、参加者全員で唱和されたと、追悼の歌としてアメリカの国歌を聞いた後、3飛行士への黙とうがおこなわれた。
 そのあと、主催者の識名安信氏が挨拶に立った。

「77年前の4月15日午前9時、日本軍の対空砲火で米軍機が撃墜され、ディーボ中尉、ロイド兵曹、ダグル兵曹の3飛行士を逮捕し、ジュネーブ条約に反して暴行を加えた上に、ディーボ中尉、ダグル兵曹は軍刀で斬殺され、ロイド兵曹は50人ほどの兵士の銃剣で殺された。終戦直後の9月に日本軍は、遺体を掘り起こし、火葬して西表島北方海上に投棄。」

と、事件の隠蔽まで走った日本軍の実態とともに、石垣島事件発生の状況を話した。

 事件は、その2年後に復員した海軍兵士がGHQへ密告し事件が発覚。46人がB・C級戦犯として逮捕され、8人が絞首刑になった。

 識名氏は「絞首刑8名の中に下士官だった藤中下士官(28)があった。上官の命令は絶対でもあり、絶対服従での命令の下ではいたしかたなかった。」という。

 しかしその藤中氏は「連行される前に事情聴取で、上官を想い、上官からの命令で致し方なかったと言わなかった。そのために藤中下士官は唯一下士官で絞首刑になった。」という。

 「藤中氏は獄中より妻と幼い2人の息子へ7000字の遺書を書いている。戦争がなければ、命令されることもなく、処刑されるようなこともなかったはず、戦争反対、永遠の絶対平和、その平和を希求する思いが綴られている。」と述べていた。
 
 「昭和20年4月1日の沖縄上陸の恐怖心や、亡くなった戦友の仇討による報復の応酬が生んだ戦争に悲劇により、24歳で命を絶たれた藤中氏に限らず、残りの絞首刑の6人の日本軍兵士も戦争の犠牲者であり、戦争さえなければ、あのようなみじめなことは起きなかった」

 「藤中氏の戦争反対、永遠の絶対平和、その平和を希求する思いは、正しく語り継がれなければなりません。コロナ禍にあっても、平和に過ごしている昨今、平和は、このような痛ましい事件の上に成り立っていることを忘れてはいけない。我々は戦争を憎しみ、平和の尊さを学ばなければなりません。」

 また、世界が注視するウクライナへのロシア侵攻に関し、

「現在、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が行われており、ロシア軍とウクライナ軍が戦闘により、1100万人の国民が国外に避難し、死亡者も推定で4万と報道されている。ウクライナの民間人が襲われる悲劇の報道が繰り返されているのに、耐えかね、ロシアへの包囲網が高まり、第三次大戦の危機がヨーロッパではじまるとの予測には、驚愕を禁じられません。」

 「一刻の猶予もありません、当事国も、国連も、国際社会も、罪もない市民を避難させることを優先に、停戦に向けた取り組みを積極的に行い、一日も早い収束を、この米軍三飛行士実行委員会のひとりとして、心から望むものであります。」と、述べていた。

 このあと、在沖アメリカ総領事館のマシュー・ドルボ総領事が寄せた追悼文「米軍飛行士慰霊祭によせて」が読み上げられていた。
 
 石垣市長の追悼文が翁長致純総務部長により読み上げられたあと、平良秀之石垣市議会議長から追悼の言葉が述べられていた。

「・・・戦争の惨禍(の記憶)を風化させることなく、惨禍をくりかえさない決意を新たにし、それを教訓として、次の世代へしっかりと伝えていくことこそ、我々の世代の責務であり、犠牲になられたすべての御霊の意志にかなうものと、確信している。」と述べ、

「現在、ロシアによるウクライナ侵攻が起こっています。・・・子を失う親の叫び、親を失う子の悲しみは計り知れません。一日も早い戦争の収束を願ってやみません。」と述べていた。

 (流杉一行)

この記事をシェアする