スペシャル対談 池澤夏樹×新城和博

●池澤夏樹 NatsukiIkezawa
1945年生まれ、北海道出身。
ギリシア詩、現代アメリカ文学を翻訳する一方で詩集『塩の道』『最も長い河に関する省察』を発表。
1988年『スティル・ライフ』で芥川賞、1992年『母なる自然のおっぱい』で読売文学賞、1993年『マシアス・ギリの失脚』で谷崎賞を受賞。
他に『夏の朝の成層圏』『南の島のティオ』『むくどり通信』等著書多数。

●新城和博 KazuhiroShinjyo
1963年生まれ、那覇市出身。
現在ボーダーインクに勤務、シマーコラムマガジン『Wander』編集長。
著書に『うちあたいの日々』ほか、主催する編集グループ「まぶい組」編として『おきなわキーワードコラムブック』『私の好きな100冊の沖縄』『島々清しゃ』『島立まぶい図書館からの眺め』などがある。

「沖縄の出版は自画像的。自らを語ることが基本ですよね」新城

新城和博(以下、新城)
沖縄の出版界事情というのはこれまでに多く語られてきましたけど、大体「沖縄は出版点数も多くバリエーションも勢いもある」というものに固定化されていたと思います。
でも、その中で仕事をしてきた人間としては、確かに外から見ると沖縄の出版状況は盛んに見えるかも知れないけど「実際はどうかな」というのが現状ですね。

池澤夏樹(以下、池澤)
まず地方の人が出版を通じて言いたいことがあるというのがなかなかのことですよ。
沖縄は民俗、歴史関係の出版が多いですね。
実際沖縄からはすごいものが出ている。
外から来た者がそれらの出版物を手に取って沖縄という土地を理解できるわけでしょ。
他の土地にはなかなかそれがないんですよ。
そんなに本が出ていないし「ここはつまらない所ですから、それより東京はどうですか」という姿勢しかない。
沖縄の人には出版以前に「ここはここだから」という意識があるでしょ。

新城
そうですね。沖縄の出版というのは自画像的な所があると思うんですよ。
自らを語るということが基本ですよね。

池澤 
そう。だから僕は沖縄で出版された本には、いろいろ教えてもらいましたよ。
宮城文さんの『八重山生活誌』を読んで「知ってる? ナーベーラーの食べ方で天ぷらがあるんだよ」「えー、それは知らないなあ」というような使い方ができるわけですよ。
そうやって自分たちの日常の全体を活字にしてみるという意識がすごいなと思う。

新城 
また、ヤマトからの出版物では足りないことが多すぎるんですよね。
歴史でもヤマトからのものには沖縄が出てこなかったりするし、園芸雑誌にしても気候条件が違うので基本的に役立たない。
だから自分たちで作らないと、ものがないんですよね。

池澤 
違いが大きいからヤマトのものでは間に合わないんだよね。

新城 
そうそう、間に合わない。あと最近は沖縄の中にいながら2、3歩退いた視点の本が増えましたね。
昔みたいに「俺が沖縄だ!」という感じで語れない弱さみたいなものがあって、でもそれも自分たちの沖縄…という所でバリエーションが出てきたと思います。
だからかつて主張してきたものと今少し退いた視点のものを両方読むといいバランスかなと思います。

「自分の島が中心という感覚が大切ですよ」池澤

新城 
八重山では11年前に『月刊ゆう』ができた。
あれでも結構驚いたんですが、そのあとに『情報やいま』ができた。
この規模の大きさと人口の島に情報誌が2つもあるというのはすごいと思いますね。
それから南山舎の『八重山手帳』は衝撃的でした。
見た瞬間、これは八重山ならではのものだなあと思いましたね。
沖縄にいる我々は持っているだけで旅行をしているような感じがしていいですね。

池澤 
生活感があるしね。

新城 
その日その日の過去のできごとが載っているから、それだけでおもしろい。
身近な人に「知ってる? 昨年の今日ね、石垣で○○があったんだよ」なんて話もできるし。
これが結構いいんですね。

池澤 
「だっからよ~」なんて言われて(笑)。

新城 
今八重山でも執筆される方って多いですね。
それから書店内の様相も那覇などと違いますね。
自然を中心とした感じで、店に入っただけで「八重山の書店だ」
という感じがする。
僕ら出版は自給自足というのをイメージとしてとても大切にしているんですが、八重山も流通のシステムをもっと確立できればすごく出て来るんじゃないですかね。
それと、ちょうど池澤さんが引っ越してきた頃から沖縄の文学状況が注目されていますが(※昨年の芥川賞は又吉栄喜氏・今年は目取真俊氏。ともに沖縄より受賞)、必然的な変化なんですかね。

池澤 
でも昔から沖縄はいいものを書いてきているよ。
また、沖縄の今のあり方や人の暮らし方、問題、歴史は文学という方法に馴染むと思う。
今や東京の若い子たちの生活があまりにも薄っぺらで、もうどう書いたって小説にならなくなっている。
踏み込んで心の問題にできない。
それと、東京に代表されるヤマト全体が文学の対象からズリ落ちた感がする。
先日の芥川賞選考委員会でも「また沖縄か」という詠嘆の声があったけど、それは「どう考えてもそこに並んだ候補作を見れば力の差は歴然としているな」という詠嘆ですよ。
だから沖縄が浮上したんじゃなくて他が沈下したと言っていい。

新城 
よく池澤さんが言われますけど、作家の中央集中型というのがあるんじゃないですか。

池澤 
地方の作家が話を書くときにね「ここは東京から遠いつまらん街だから」というネガティブな舞台にしか使わないわけですよ。
読んでいて「これどうも○○あたりだなあ」と見当がつくんだけど、それ以上その土地の個性とか特徴が書かれない。
それは舞台の選び方として、そこに住んでいる人が書いているんだったら悲しいと思いますね。
ただ土地の力というのは文学の話で言えば必要条件だけど十分条件じゃない。
一番いい切り札の1枚ではあるけれど、まだあと3枚くらい必要。
それは一人一人が自分で見つけなきゃいけない。
でも八重山は1枚持ってますよ。

新城 
それは小説だけじゃなく、どんなジャンルでも沖縄は確かに1枚持っていますよね。

池澤 
そうね。だけど八重山の人がみんな民謡うまいかと言ったらそういうわけでもないから、そこを間違えないようにしないとね。
例えば黒人がみんなリズム感がいいかといったら、これは差別ですよ。
そうでない奴いっぱい知っているもん。(笑)

新城 
僕は「沖縄」と書くときも八重山や宮古もあるから「おきなわ」と書くようにして一緒くたにしないように心がけています。
同じ沖縄でも全然違いますもんね。
僕は若い世代ももっと沖縄の内部がいろいろな個性を持っているということを認識した方がいいんじゃないかなと思います。
自分なりに意識して、島によってこんなにも違うんだということを知って欲しい。
沖縄の人が八重山に旅行したり八重山の人が宮古に行ったり、国際交流じゃなくて島際交流をするようになるといいと思いますね。

池澤 
うっかりするとね、那覇の人は東京の方しか見ない。
先島があることを忘れている。
そうじゃなくて、那覇の人は那覇が中心で東京もあれば先島もあるという感覚が必要ですよ。
八重山の人はここが世界の真ん中だと思って、「那覇とか東京ってとこもあるらしいよ」というくらいでいい。(笑)
あっちが中心でこっちが外れという気持ちでいると足を踏み外すと思う。

「自分が本気で根を下ろそうと思ったところから本当の発言が始まる」池澤

新城 
10年くらい前だったら沖縄の郷土本を買う人っていうのは少し上の年代の方が多かったですね。
僕は「自分と同世代の人が買えるものを作りたい」と思いながら出版を始めましたが、それは実際手ごたえもあるし、ある種開拓したという自負もあります。
また僕らの雑誌でも、3~4割は若い観光客やヤマトの人が買っています。
それは沖縄全体が若い人たちから注目を浴びているということなんですよね。

池澤 
僕も最初はやっぱり「沖縄大好き」だけだったんですよ。
だから何でも知りたかったし、『沖縄大百科』を買ったり、その他いろいろ話を聞いたり調べたり書いたりした。
それは自分のためであると同時にヤマトの沖縄好きのためだった。
そういう思いで「沖縄はすばらしい」に徹した本を一冊編集して作った。
で、沖縄に住むようになってからは、今度は自分を特派員の立場に置いて、基地問題などをヤマトに対し「おまえらひどいぞ。何考えてんだ」と発信してきた。
それが今年になって僕は本当に自分が変わったと思っているんだけど、沖縄の人に対して言いたいことが随分出てきた。
いいことばかりじゃないです、それは。
これはつまり僕にお客さん意識がなくなってきて、本格的に県民化してきたからだと思うのね。
そういう所から「いつまで国におねだりしているのさ」くらいのことを言い始めた。

新城 
最初、意識的に地元メディアとの距離感みたいなものがあったんですか?

池澤 
うーん、意識的にでもないけど、でも結局、お客さんとして発言している限り核心を突いたことは言えないんですよ。
それで一所懸命、地元の新聞を読んだり、人から話を聞いて書いていた。
もうひとつはやっぱり自信がなかったからね。
見当違いのことを書いて笑われるっていうのはやっぱりうれしくないから。

新城 
なるほど。

池澤 
旅人ってのは無責任だからね。
例えば2、3年住んでも税金を払わずに、選挙権もなければお客さんでしょう。
それはいいとこ取りですよ。よくない
ときは「ここの連中はさあ~」ってそのときだけ外に出て言えばいいんだから。
それじゃその土地に根を下ろしていることにはならない。
自分が根を下ろそうと思ったところから、多分本気で言いたいことを言うようになると思う。

新城 
今度出た『沖縄式風力発言』にもそんな感じの発言がちょこちょこ出てきますね。

池澤 
でもまだ足りないね。まだ僕は沖縄の人にたまたま自分の知っている文学や自然のことを話しているだけであって、議論をふっかけてはいないです。
がっぷり四つに組んで相撲を始めるのはこれからじゃないかな。

「自給自足で個にこだわったものづくりを」新城

池澤 
まず人が始まり。
それから友だち、地域があって、という風に輪を大きくしていく。
いきなり組織にしないで、「そこに座って考えてごらんよ」というところから始まるんだよね。
島全体をどうにかしようというとき、つい行政とか財界とか大きなものに目を向けるけど、彼らはお世話役なんだから。
それと僕は今特に沖縄に思うんだけど、ものを作る人が一番偉い人なんですよ。
そうでない人たちばかりが発言権が大きいけど、フリーゾーンだって物を売る話ばかりでしょ。
作る人がいて初めて他の人が動き始めるんだから。
その順序をもう一回思い出すように…という気持ちが強いんですね、このところ。

新城 
僕も出版の中で自給自足したいなと思ってます。
まずはそれが基本で、余力がある部分で外にどんどん出て行く。
それは全体的にそうだと思うんですよ。
人間も沖縄全体が交流して輪が広がっていく。
そうすると今言ったように人と人とのつながりができる流れになり、国境とか県境抜きに本当に島と島がつながっていくと思います。
国際都市形成構想などがあればあるほど、そういう方向で行きたいですね。
より個にこだわったものづくりをし、交流ができたらいいなと思います。

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